散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

『二重市場社会』永井陽之助1975年~成熟社会への先駆的提案

2015年01月08日 | 永井陽之助
論文『経済秩序における成熟時間』において成熟時間の破壊を論じた帰結として、成熟社会へ向けた「二重市場社会」という概念を永井陽之助は1975年頃に持っていた。40年前の発想だ!

近代社会では、自立的個人の選択の自由を媒介として、秩序を形成する。経済においては市場が媒介役を務める。ところが、資本主義社会においてはすべてのものを自由競争にしている。そこで、機械系の導入により、生産力の発達を極限まで伸長させる方向で経済を成長させてきた。その結果、社会生態系の破壊へと繋がっている。

日本は戦後の60年余りで「発展途上国」から高度経済成長を経て「輸出大国」となり、現在は「債権国」になった。続いて「成熟国」の段階に入ろうとしている。しかし、問題は、経済構造が「輸出国」の時代のままであることだ。
 『成熟社会へ向けての諸問題~国家経済の課題141107』

そこで、経済構造を供給弾力性によって仕分けする考え方が生まれる。
それが高いものについては、完全競争社会において、自由と効率を追求する。一方、低いものについては、地方自治体を中心とした地域に任せる。

例えば、社会サービス、公共財、生活必需品などだ。おそらく、すべてを地域社会にと云うわけにはいかないで、地域の特色を出しながら、大企業とも共存を図っていくことになると考えられる。

その最大の狙いは権力単位を分散させ、ローカルコミュニティの創造と統合を図ることにある。

これは最近の冨山和彦氏によるグローバルとローカルの二重性と重なるようだ。氏によれば、グローバル化の中で、経済圏としてローカルな世界も存在し、それはグローバル経済圏と異なる経済圏を構成する。日本の製造業や情報産業などのG型産業はグローバル化する。従って、雇用を支えるのはL型産業、流通・外食・介護等だ。
 『「Gの世界」と「Lの世界」~産業・仕事・教育のパラダイムシフト』

日本の産業別労働人口は、厚労省の毎月発行される統計からおおよそ、次のようになっている。

 事業者    5人以上  30人以上
 調査産業計 47百万人 27百万人
 製 造 業  8.0   6.0
 卸売・小売業 8.7   4.0
 医療・福祉業 6.3   4.0
 飲食サービス業  4.2

現段階においても、卸売・小売業、医療・福祉業、飲食サービス業の労働人口は、全体で約40%を占める。全部が地域主体ではないが、地域の担い手になる人は多いはずだ。

労働生産性を上げる必要はあると共に地域との繋がり及びサービスのあり方を工夫することによって、経済だけでなく、文化的事業及びイベントにも関わることが必要だ。

最近、セブンイレブンの方が、弁当一つを配達しているのを見かけた。これからは、デイサービスとの協調も有り得るだろう。クロネコ宅急便は、リヤカー自転車で近所の家へ、こまめに配達をしており、その配達員には、おばさんもいる。地元のスーパーの特売日には、お客さんが列をなしている。地産地消の門前販売もコンスタントに売れているようだ。

おそらく、口コミも含めて情報は密に伝えられ、カネの循環も進むであろう。

      
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幻想の中の新宿駅西口~檻の中の子犬たち、自らの鏡として

2015年01月06日 | 回想
新宿ミラノ座が年末に閉館した。
新宿の変貌に付き合っていてもキリがない。しかし、昨年の7月に所用があって新宿辺りまで出掛けた際に、ついでに西口辺りで変わらずに残っている処を写真にでも撮っておこうと思いついて、カメラを持って行った。



思い出横丁はアジア系の外国人の名所になった様で、正面の看板も立派に掲げ、昔の面影は残しながらも、意識的に存在感をアピールしているみたいで、少し違和感を持った。外人観光客もチラホラいて、こちらもカメラを持っていたから同じ様な存在と化してしまったのかと思って、シャッターに手を当てるのに気後れを感じた。
  
横丁を入ると、見慣れた風景の中にも、少しずつ感じが変わっている店屋もあった。大学一年生の終わり頃から三年生の途中まで、帰り道で晩飯をよく食べたツルカメ食堂は時間の関係なのか、閉まっていたのが残念だった。


  
高校性の頃も、思い出横丁の中に入ったが、これは興味本位であって、特に何か食べたわけではない。高校性にはチョット入りにくい雰囲気もあったからだ。酒を飲む年では無かったし…。

それよりも残念だったのは、最初の写真にある「東口近道」へ向けて右へ入り、突き当たった処にあった子犬屋が無くなっていたことだ。


  
今流で云うペットショップと書いてある「清水園」、その向かって右隣の自販機の処に、「川原ケンネル」があったはずだ。自販機を少し右へ行くと、JRガード下の抜け道に続く。ともかく、二軒が並んでいたことは確かだから…左隣だったかも知れない。

この二つの店先に出ているガラス張りの檻の中に、子犬たちが入っていた。可愛いらしいこと夥しいから、休日には、人集りがする。おそらく、子犬と共にこの店を覚えている人は多いのではないか!

しかし、「檻の中の子犬たち」を見ると、奇妙に自分たちの存在を象徴していると、ふと、思うようになった。中学生時代だろう。自意識に目覚めた頃、高度経済成長は軌道に乗り、オリンピックの準備で東京は急激に変貌していた。

檻は「受験競争」を意味していたのかも知れない。
景気の波はあっても、社会全体としては少しずつ豊かになって、前途は明るいと感じられた。その中で、戦後ベビーブーム世代の子ども達を、軌道を外さないように、監視しながら見えない檻の中で育てている。子犬のように!

そして今、ペットと共に暮らす高齢者は、当時の自らの状況をペットに逆照射しているかのようである。

      
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幻想の中の歴史物語史2~55年前の歴史全集が判明

2015年01月03日 | 回想
昨日の続き。記憶を頼りに紹介した歴史全集の全貌(近代日本文学館所蔵)をFB上で教えて頂いた。合わせて全集の写真も送って頂いた。深謝!
それは、少年少女日本歴史小説全集20巻(講談社)であった。
 『幻想の中の歴史物語史~日本武尊から西郷隆盛まで150102』

先ずは、全巻を以下に示し、その後、自分の記憶を検証してみよう。古ぼけた写真は、自分にとって感動的だ!

  
  

少年向けの物語として、主人公を合わせて書いておく。
「熱火の王子」は天皇家の若き王子であったが、名前は思い出せない。また、「蒙古襲来」は蒙古の独り相撲であり、ヒーローは「神風」と云わざるを得ない。それが悲劇の特攻隊に表現され、今でも、世界的に知られているからだ。

     題名       著者    主人公
 全集1 原始少年ヤマヒコ 白木茂著  山彦
 全集2 日本武尊物語 佐藤一英著   日本武尊
 全集3 熱火の王子 中沢巠夫著    中大兄皇子の仲間
 全集4 天平の少年 福田清人著    行基
 全集5 遣唐船物語 高木卓著     吉備真備
 全集6 八幡太郎義家 真鍋呉夫著   源義家
 全集7 少年源為朝 久米元一著    源為朝
 全集8 源氏の若武者 小山勝清著   源義経
 全集9 曽我兄弟 花村奨著      曽我十郎・五郎
 全集10 蒙古きたる 海音寺潮五郎著  「神風」
 全集11 千早城の旗風 太田黒克彦著  楠木正成
 全集12 決戦川中島 松本清張著    武田信玄
 全集13 南海の快男児 野村愛正著   織田信長
 全集14 少年太閤記 吉川英治著    豊臣秀吉
 全集15 風雲関ヶ原 多田裕計著    徳川家康
 全集16 少年天草四郎 南条範夫著   天草四郎
 全集17 少年忠臣蔵 高野正巳著    大石内蔵助
 全集18 幻のオランダ船 那須辰蔵著  高野長英
 全集19 海援隊長坂本竜馬 貴司山治著 坂本竜馬
 全集20 南洲西郷隆盛 田岡典夫著   西郷隆盛

昨日、16冊まで内容を覚えていたことまで書いた。残りの4冊は以下だ。「1原始少年ヤマヒコ」「4天平の少年」「9曽我兄弟」「16少年天草四郎」。
以上の4冊に共通しているのは、青史からは、周辺的事象になっていることだ。

ヤマヒコは神話物語の世界であるから、戦後の時代では歴史から外れる。全冊のなかで、この一冊は読んだ記憶が全く残っていない。思い出せないのだ。

曾我兄弟。日本三大仇討ちの一つとして、舞台芸術の世界には存在するが、単に私的な恨みだ。忠臣蔵は広く大衆的事件であること、加えて、お上の裁きへの抗議を含めて公的な意味をつけているかもしれないが。

天平の少年。社会福祉活動をした僧・行基の話があったことは覚えていた。手元にある山川の学習参考書(詳細日本史研究)を繰って、同じ頃に僧・玄肪、聖武天皇に取り入った悪役として登場、が書いてあり、すっきりと思い出した。

天草四郎、これも蘇った。キリスト教迫害被害者の象徴的存在であるが、歴史的には単なる反乱者だ。日本の宗教史そのものが、歴史の中でどうように位置づけられているのか。戦前の天皇制下での問題なのだろう。

自分が読んだ記憶を想い起こし、印象に残る人物を改めて挙げると、千早城・楠木正成、島原の乱・天草四郎、社会福祉活動・行基、蘭学者・高野長英あたりだ。教科書、本、テレビ等で著名な人物はそれらによって、子どもの頃に読んだ本のイメージがかき消され、
 “覚えてはいるが、印象には残っていない”のだ。
なるほど…そうか。これは自分として大きな発見に思える。

      
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幻想の中の歴史物語史~日本武尊から西郷隆盛まで

2015年01月02日 | 回想
小学生の頃は野球、読書、それにラジオを聴きくことで過ごしていた。
 『幻想の中の野球少年140101』

読書では、昨日の記事の様に「少年探偵団」に導かれ、続いて読んだ少年少女歴史物語全集は何巻だったか覚えていないが、皇国史観のもとに書かれていた。それが表題にもあるように、「日本武尊」から「西郷隆盛」までだ。おそらく、小学4年生の頃に読んだのだろう。
 『幻想の中の読書事始め~ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団150101』

一冊ずつ作者は別で、海音寺潮五郎だけは今でも覚えている。但し、そう思ってググってみても、著作一覧からは、それらしきタイトルは出てこない。代表作は「天と地と」で、上杉謙信の生涯を川中島の戦いまで描き、1960-1962年に『週刊朝日』に連載された。NHK大河ドラマになり、また、映画にもなった。

ただの記憶違いかもしれないが、更に記憶を逞しくすれば、当時の大衆歴史小説家が作者として選ばれていたように思える。できれば、この全集ごと調べてタイトルと作者を明らかにしたいと思っている。

歴史とは、過去のことであるが、それが整理され、過去の中でその意味合いが明らかにされて始めて歴史として広く認識される。従って、古い昔は何があったのか人の記憶からは忘れ去られ、また、資料も散逸して良く判らない。

一方、近い過去は、その意味合いが決められず、あるいは、解釈に立場の違いが表れて、認識が定まり難い。まだ、生存者が残る直近の過去は尚更だ。従って、直近を除き、その間の過去を“歴史領域”と呼んでみる。

従って、「日本武尊」から「西郷隆盛」までが当時、この本を企画した編集者及び作家の“歴史領域”だった。日本武尊の印象は、おそらく、その後に観た映画の印象が強く残り、本の内容は全く覚えていない。一方、西南の役で西郷が敗れ、城山で自害して(別府晋介に)介錯されたことは覚えている。

物語史としての歴史観は、当時、西郷の死を明治維新の完成とみて、そこで終わっている。父親の言葉は、「西郷がやっても勝てなかったから、そこで不平をもつ士族の人たちも諦めたんだよ」であった。そこは今でも、奇妙にも覚えている。

西郷は明治維新の功労者、政府と対立はしたが、岩倉具視が策謀者的に描かれ、取り巻きが反乱を企て、正直者として神輿に乗った人間として描かれている。勿論、徳川側も勝海舟による江戸城明け渡しで身を引いたことでその後の歴史から消えている。そこでは少なくとも悪人はいない。これが『「日本武尊」に象徴される天皇家による統一に始まり、「西郷隆盛」の死によって終結した明治維新により新たに統一された日本』を示す皇国史観の骨格が、鮮やかに残されている。

では、どこまで“小学生時代の本の記憶”が残っているのだろうか。

「日本武尊」の次は「大化の改新」。蘇我入鹿が悪者であり、中大兄皇子、藤原鎌足が倒す。次は、「遣唐使」。阿倍仲麻呂、吉備真備を中心に、帰朝できない悲劇の仲麻呂と政争に巻き込まれる真備。

続いて、源平時代、「東北の蝦夷征伐」、「保元・平治の乱」、「平家物語」。安倍氏、清盛が悪者であり、八幡太郎義家、源為朝、頼朝・義経の活躍と悲劇。

次は、「蒙古襲来」。これも日蓮の映画の印象が残っており、善悪を超えた“神風”の存在が際立っている。

次は、南北朝。「楠木正成と千早城」攻防の話は印象に残っている。南朝の後醍醐天皇側を善として、足利尊氏を悪者にしている。その後の応仁の乱は描かれていなかったように記憶している。物語の中心人物に欠けていたからだろう。

次は、戦国時代。「川中島」は信玄を中心に謙信を配し、「信長・秀吉・家康」はそれぞれ若き時代から描かれ、3冊あったはずだ。

続いて、江戸時代。「忠臣蔵」は吉良が悪者、「解体新書」は高野長英が主役で、大塩平八郎の乱があり、水野忠邦が悪者だ。

そして、「海援隊長・坂本龍馬」は題名を覚えている。海援隊長が珍しく聞こえたからだろう。最後の「西郷隆盛」になる。

以上、少なくとも16冊は覚えているようだ。それぞれ主人公がいる物語であって、結局、それが歴史を覚えるキーとなる。結局、その後の日本史も時代的な概念は理解していたから判り易く、世界史、地理、政経・倫社の社会科にも関心を持ったのはこの歴史全集のおかげだろう。

しかし、物語は単に「面白い話」という以上ではなく、その点、真田十勇士の猿飛佐助、霧隠才蔵の話と変わりない。皇国史観もイデオロギーではなく、物語として受け止めたのが一般的ではないだろうか。逆に言えば、それだけ、影響が広い。NHK大河ドラマも同じだろう。

      
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幻想の中の読書事始め~ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団

2015年01月01日 | 回想
小学生の3年生の頃だったと思う。
父親と一緒に初台通りの商店街にある、いつもの本屋さん「錦秀堂」に行ったことがある。本を読むことは、絵本から始まってそれまでにもあったと思う。一方、父親は読書のクセをつける時期だと考えたのだ。おそらく…。

錦秀堂さんでは、親父さんが店番をしていて、息子さんは頼まれた本、あるいは定期的に購入される雑誌、刊行物などを配達していた。

下の写真が店構えで、造りはそのままだが、今はお米屋だ。正面のガラス戸に「○×米店」と書かれ、商品もコメ関連だ。しかし、写真の軒の横に、紛れもなく、「本」と書かれている。この軒は変えずに、店の中だけ品物を変えただけだ。昔の錦秀堂は廃業したが、店自身は続いていて、何かホッとした気分になった。


 
ここは交差点の角になり、写真右側の道路は、右へ京王線・初台駅から国立第2劇場に、左へ環状6号線の代々木八幡駅陸橋の手前に通じる。一方、それに横断する道路は、左へ環状6号線に、右へ母校・幡代小学校に通じる。

国立第2劇場へは、偶にオペラを観に行く。
そのとき、時間を少し繰り上げて初台駅に行き、その付近を、あるいは幡ヶ谷駅へ行って、初台へ戻りがてら、勝手知ったる小道、横道を通り抜けてゆく。何か同級生に出会うような錯覚を誘う冒険をしている感覚で、自分のテーマにした「散歩から探検へ」を楽しむのだ。

話を戻して、自分としてはマンガを読みたいと思っていたのだ、その頃は…。しかし、家にはマンガを置いていなかった、まあ、禁止されていたようなものだ。父親は少年文庫、少年少女文学全集の中から選ぶことを期待していたのかも知れない。しかし、錦秀堂の親父さんが進めてくれたのは、何と、江戸川乱歩「少年探偵団シリーズ」だった。

自分には予想外であったが、渡りに船と内心は大喜びでもあった。
当時も今も、「少年少女純文学」という枠組はないと思うが、あえて云うなら、少年探偵団は「少年少女大衆文学」に属していたとも云える。即ち、赤胴鈴之助、まぼろし探偵、月光仮面などのマンガ寄りの読み物とみなされていたようだ。

ラジオ、テレビでも番組として放送されていたが、ラジオを聴いた記憶は残っていない。しかし、「ぼ、ぼ、ぼ…」との出だしで始まる主題歌はリズムがあって、友達と一緒に口ずさんでいたことは確かだ。そこで、少年少女大衆に親しまれることになったのだと思う。読んでいるか否かは次の問題なのだ。
 
そのときは、既に全集として揃っていたはずだから、「怪人二十面相」から始まって、読んだ後に次から次へと続編を、その場でツケにして買って、読んでいたのだ。何巻あったのか、覚えていないが、確かに読書のクセは付いたと思う。



写真は我が家にあるポプラ社刊行の全集(全26巻)である。当時は他の出版社から出版されていたように思う。何故、買ったのか、子どもたちに読書のクセをつけいと、自分が考えたからだ。だから、これは自分のものではなく、子どもたちのものだ。しかし、買ったときは自分も読んでみようと思っていた。

今では、仕事も辞め、ブログも書かなくなった後の楽しみとして読むのはとっておこうと考えている。

      
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