散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

中東の聖戦へ参加する西側の若者~暴力性の問題

2015年01月10日 | 先進諸国
報道によれば、パリでの仏週刊紙銃撃事件は、更に別のテロ事件を伴い、仏特殊部隊が現場ですべての容疑者3名を殺害した。テロの犠牲者は計17名だ。容疑者2名はアルジェリア系フランス人で、イスラム過激派と関係があるという。

最近のイスラム国に関する報道の中で、英エコノミスト誌が「中東の聖戦に向かう西側の若者達」(2014/8/30 and 9/4)において、その理由とイスラム国の兵士として参加する方法、その後に母国へ帰る難しさを述べた後、最後に「今日のジハード主義者がロンドン、パリの殺人者になる恐れ」があることを警告した。図らずも、その予測は不幸なことに、今回、ほぼ的中した。
 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41633
さて、エコノミスト誌によれば、「西側出身の戦闘員の多くは、戦いに加わったり、新しいイスラム国家の建国に力を寄せたりする機会に自ら飛びついた者たち…。ニューヨークを拠点とする安全保障情報企業ソウファンの推計によると、5月末までに81カ国から1万2000人が戦闘に加わり、そのうち約3000人は西側出身だという(図参照)。



「欧米など西側出身の戦闘員が聖戦に引きつけられた理由を、貧困で説明することはできない。戦闘員の多くは中流階級だ。周りの社会に溶け込めなかったからという説明も当たらない。敬虔な宗教心だけでも説明がつかない。戦闘員の中にはこれまで宗教に関心を持ってこなかった者もいるという。」

「より説得力のある説明は、彼らは母国の退屈さから逃れ、自分のアイデンティティを見つける欲求から聖戦に参加…。図の参加人数第一位のベルギーの戦闘員の多くは、最も退屈な町の出身だ。過激派はそのような町で集中的に、新たな聖戦戦士を募る努力を費やしてきた」。

しかし、この説明、アイデンティティ探しだけでは説明は付かない。即ち、戦闘に魅力を感じる理由があるはずだ。

ハンナ・アーレントは浩瀚な三部作「全体主義の起源」(1951年)において、第二部を『帝国主義』として、19世紀末から20世紀の大戦を迎えるまでの、西欧国民国家の没落の過程と全体主義の勃興を素描した。

その第3章において「帝国主義的性格」を描いている。
資本主義の発展と共に余った富が資本として蓄積され、それと共に景気の波が恐慌に向かった時に、労働者群が失業者として吐き出された。そのような一群の社会階層の人間をアーレントは“モブ”と呼んだ。

そのモブと余剰資本とが結びついて、海外植民地を形成していったのが、帝国主義であった。「赤道の彼方に罪業無し」との言葉に表されるように、モブに付随した暴力はアフリカで開放され、暴力的人間はアフリカへ送り込まれた。

逆に、西欧諸国の各国内においては、秩序を維持するのに好都合であった。しかし、植民地がなくなると、暴力的人間は国内に止まり、暴徒と化すケースが増えてくる。そこで、現在では、「母国の退屈さから逃れ、自分のアイデンティティを見つける欲求から聖戦に参加」する人間が多く出てくるのだ。

米・西欧・日において経済格差が広がり、階層が固定化される状況が、宗教イデオロギーと結びつくと…極めて不気味である。

      
コメント
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