散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

地方創生における「公と私、官と民」~戦前的発想を打破できるか

2015年01月14日 | 現代社会
来年度予算案が決定した。96兆3420億円だ。先の選挙で自民・公明の与党側がしきりに「地方創生」を宣伝していたが、報道では何を具体的に実施していくのか、トント明らかではない。

筆者が住んでいる地域では、「農のある風景」というテーマで市から補助金をもらい、農産品を販売している処がある。しかし、どこかサロン的であり、個人の趣味でお店を営んでいるようにも見える。

補助金が本当に地域の中を循環して、その振興に役立っているのか、何とも心細い“風景”ではある。それよりも、近くの農家で作っている野菜を100円程度で売っている処のほうが素朴で、かつ、安い物が得られるようだ。

その間に事情について、地方創生に必要なのは、「おカネ」ではない、として、却って「地方は補助金をもらっても衰退する」と指摘する木下斉氏のインタビュー記事がある(2015/1/7)。地方創生に必要なのは「おカネそのもの」ではなく、「おカネを継続的に生み出すエンジン」なのだという主張だ。

「地方に必要なのは、一回しで終わらない、一度資金を入れたらそれをもとに、地域内経済を取り込んで回り続けるエンジンです。税金を用いた活性化事業の限界は、利益を出してはいけない、出せないという、その資金の性質と諦めで縛られてしまっているわけです」。

「地域活性化に取り組むという名目で資金が流れ、そのひと廻しのシステムの中で食っている人たちにとっては「税金での地域活性化」は不可欠です。しかし地域全体においては、その効果は全く波及しません」。
「成果を出している事業は、補助金に頼らない」というより、補助金に依存した段階で、もはや「衰退の無限ループ」にハマってしまうわけです」。

「地方創生に必要なのは、資金調達が可能な事業開発であり、民間が立ち上がって市場と真正面から向き合い、利益と向き合って取り組むことが必要です。成果をあげているのは、民間が立ち上がり、事業を推進している地域ばかりです」。

「そもそも行政は、利益を出すことなど、やったことがないし、そんな目的で作られていません。政治も同様で、分配の内容やルールこそ決めることができても、稼ぎを出す集団ではありません。つまりは、民間が立ち上がるほか、地方が活力を取り戻すなんてことはないのです」。

「「仕事がない」→「人もいなくなる」→「ますます仕事がなくなっていく」、という負の循環をいかにして断ち切るかしかありません。そのためには、利益を生み出す事業と向き合わなくてはなりません」。

「税金を用いた活性化事業の限界は、利益を出してはいけない、出せないという、その資金の性質と諦めで縛られてしまっているわけです」。

「行政が関わった途端に、官民両方が根から利益は出ない、出していけないという固定観念も未だ強いです。とある自治体の研修で「金儲けを考えるいやしい民間が嫌だから、役所にきた」と、言われたことがあります」。民間は民間で「地域活性化は利益が出ない、行政の仕事」だなんて普通にいってしまう」。

木下氏が指摘する実態は、日本社会のおける「都市と地方」の問題が「公と私」及び「官と民」の問題と深く結びついていることを暗示する。
即ち、上記の自治体の研修における“金儲け=いやしい=民間”との話は、民の動機は私利私欲に閉ざされており、公は官が独占するもの、との発想を含んでいる。これは将に、戦前の官と民の関係そのものになる。

民の位置づけをはっきりとしていかないと、滅私奉公のアナクロニズムに陥ることになってしまう。これは地域活動に携わる人たちの共通の課題だろう。おそらく、そのなかでも、活動を継続していくエンジンを造り出すことが最大の問題だろう。

      
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