散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

西欧帝国主義が背負う「罪と罰」~時間の遅れを伴ったデモ

2015年01月30日 | 先進諸国
「西欧人にとって、公海の外の世界は「免責」に値する道徳外の領域であった」、「かつて、旧世界では、パスカルが『子午線が真理を決定する』といったとき、そこでは、秩序づけられた「市民社会」(文明の領域)と混沌と無法の自然状態(野蛮の領域)の深淵を彼は垣間見ていた…」(永井陽之助「冷戦の起源」P32)。

先の記事で述べた「赤道のかなたに罪業なし」との言葉も同じ意味を持ち、欧州に内在している暴力性は帝国主義と共にアフリカへ向かった。それは、ハンナ・アーレントが指摘した様に、資本主義の発展の中で景気の波が恐慌となり、失業者として吐き出された一群の階層から生じたモブが担った役割であった。
 『中東の聖戦へ参加する西側の若者150110』
 http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/da258a4ef4c006e1c09417321e3a52ff
帝国主義を具体的に担ったヨーロッパ人の暴力性が、それに対抗する現地人のゲリラ・テロを生み出したのだ。それと共に現地人においても、宗教各派での抗争が、権力を巡って激化し、多数派対少数派の宗派戦争の様相を示す。

先ず、1979年2月に起こったイラン革命は、世界史的な転換であった。ホメイニを指導者とするイスラム教シーア派の法学者たちを支柱とする革命勢力が、国王の専制に反対して、政権を奪取した。

その後は、米国大使館人質事件、イラン・イラク戦争…アルカイダの活動、イスラム国の出現に至っている。その中で、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件は、「市民社会」(文明の領域)へのテロを象徴している。

今回のシャルリー・エブド襲撃テロ事件は、「市民社会」に巣くうテロリストの犯行であり、抵抗主義の時代において、「赤道のかなた」での暴力を容認し、市民社会から体よく追放していた西欧社会が、ブーメランの如く蘇った内部での暴力に対応せざるを得なくなった状況を示している。

これが西欧帝国主義の「罪」が、時間の遅れを伴って招いた「罰」なのだ。

しかし、時間の遅れを少し元に戻すと、
アルジェリアでアルジェリア人独立運動家の捕虜を診療する内にフランスの植民地支配へ反対を始め、アルジェリア民族解放戦線(FLN)に参加、アルジェリア戦争を戦い、FLNのスポークスマンとして活動したフランツ・ファノンがいる。

その著作、「地に呪われたる者」の序文は哲学者・ジャン・ポール・サルトルが書いたものだが、その中で、「地に呪われたる者が人間になるのは、凶暴な激怒を通してである」と書いている。更に、「ひとりのヨーロッパ人を殺すのは一石二鳥である。後には、死んだ人間と解放された人間が残る」と云う。

50年前のサルトルならば、原罪を表現できるが、現代人にそれを望むのは難しいのだろう。報道によれば、1月11日、フランス各地で犠牲者を悼むための大行進が実施され、その数は全国合計で少なくとも370万人に達したと推計される。ちパリの行進に加わったのは160万人超とみられ、キャメロン英首相やドイツのメルケル首相ら欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳も参加した。また、ブリュッセルやロンドンなど周辺国の都市でも追悼行進やデモが行われた。

これは、ヨーロッパ社会として見えない敵に宣戦布告したようなものだ。逆に言えば、敵を明確にすることで、結束を高めようとする狙いもあるのだろう。やはり、強靱な精神と云うべきなのだ。欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳が参加したことも眼を見晴らす様だ。

安倍首相は参加せず、また、中東訪問時の2億ドルの援助金も人道的支援と述べ、中立性を強調した。これがどの様に受け取られるのかは、また別の話であるが。今後の人質事件の成行で明らかになるであろう。

      

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