散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ストップ・ザ・サトウからアベノミクスへ~東京都国政代理選挙は格落ちか

2013年06月24日 | 地方自治
東京都議会議員選挙は大方の予想通り、自公の圧勝に終わった。投票前日のNHKテレビのニュース番組では、各党首が経済関係を中心にして国政の話題をネタにして応援演説を打っていた。いや、これは応援演説ではなく、参院選挙運動の一環でしかなかった。都政の課題は何だろうか?選挙戦を通じて浮彫りにされなかった。

1971年東京都知事選挙は第7回統一地方選挙の一環として4月に実施された。保革両陣営が大衆向けスローガンを掲げて対峙した、日本初のイメージ選挙戦と評される。社共共闘の現職、美濃部亮吉は、ベトナム戦争等の国政問題をこの首長選に持ち込み、「ストップ・ザ・サトウ」を連呼して首相の佐藤榮作批判を展開した。

その佐藤首相に口説かれた警察官僚出身の自民党・秦野章氏は『4兆円ビジョン』なる開発構想を掲げたが、舌禍が災いして都民には浸透しなかった。秦野本人も、候補者擁立を巡る混乱を『昭和元禄猿芝居』と論じた。一方、公明、民社は都政与党を目論み、自民と距離を置いて社共に接近、選挙後に『四党体制』を発足させた。

結局、美濃部が約361万票を獲得して圧勝、日本の選挙では個人の史上最高得票数であった。この記録は、去る2012年東京都知事選挙において猪瀬直樹氏が約433万票を獲得するまで破られることがなかった。
(以上、ウキペディア参照)。

当時は都知事選が国政代理選挙の機能を先ず果たした。しかし、美濃部以降の都知事選は国政にも、都政にも関係なく、単に名前が一般的に浸透している候補が立つようになり、また、高得票を獲得するようになった。即ち、著名人化すると共に脱政党化が進んだ。青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹と続く。

一方、小泉純一郎が首相になって以降、政治状況は「改革」をキーワードに動き出した。丁度、民主党が自民党に取って代わる時の衆院選挙の手前で、都議会選挙が“国政代理選挙”の役割を担った。今回の選挙も安倍政権誕生後の成果を問う選挙として機能した。しかし、知事選から議員選へ国政代理選挙は格落ちした観もある。

一地方自治体に過ぎない東京都の選挙の争点が、都の抱える課題ではなく、国政であることに批判はある。しかし、それは「大都市」東京の役割が国の機能の大きな部分を担うことの反映でもある。国政代理選挙を知事選から都議会議員選挙へ映したのも、政党の影響を排除し、国から独立を図る都側の狡知と言えるかもしれない。

      

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