散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「ウソ発見器」は何を発見するのか~政治課題としての慰安婦問題 (2)

2013年06月13日 | 国際政治
慰安婦の方の証言が自身の年齢と辻褄が合わない等の矛盾があることが、ネットで話題になっている。例えば、橋下氏に面会する予定で、直前にキャンセルした87歳の金さんは「14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。」と朝鮮日報が報道している。

また、「広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした」との話に対して、池田信夫氏は、日本軍でも太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、まして慰安婦がそれに随行することはありえない、と述べている。

記憶違いとの説も当然、出てくるが、筆者が注目するのは、話そのものがしっかりと整合が取れていることだ。池田氏はウソと言うが、それよりも「作り話」の趣がある。設定された時間軸と空間軸からすると、どの程度まで、経験が含まれているのか、必ずしも判らない。

ここから連想するのは、江戸川乱歩の探偵小説「心理試験」である。容疑者の大学生(苦学生)を「うそ発見器」にかけるのだが、容疑者は余りにも淀みなく受け答えする処を名探偵・明智小五郎が疑いを持つ。ヤバイ質問に対する回答は作り上げられたものだからである。即ち、犯人側の「証言」だからだ。「ウソ発見器」が発見したのは、個々の発言のいかがわしさではなく、作り話の構造なのだ。

筆者は団塊世代であるから、親の世代は戦争体験を持つ。母親はPTA活動をしていたから、友達のおかあさんとも交流があり、筆者も話をする機会があった。であるから、親世代の戦争体験の「話」を母親も含め、何かの機会に聞く機会の何度かあった。

それは、「戦争体験を聞く会」とか、若い人に戦争体験を語り継ぐ、とか言う構えた姿勢ではなく、単に「雑談」のついでに、話題になった程度のことだ。しかし、その話では、空襲の際等の鮮やかだが断片的な記憶と、全体の記憶の中の時間が入り乱れていることを覚えている。しかし、今、考えると、意識的なウソはなく、全体の構造は経験の持つ意味を表現しているかのようである。それは「目黒のサンマ」なのだ。

しかし、記憶の定かでない部分を「証言」しようとするとき、その整合性を求めて「作り話」に走ることになれば、それは全く「お城のサンマ」に繋がってしまう。

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