散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

豪の完全優勝を応援~「なでしこ」のリオ・オリンピック出場へ向けて

2016年03月03日 | スポーツ
日本は豪に3-1で破れた。試合全体として完敗であると共に、NHKニュースを見て、不可解に思った。得点シーンが全4得点の中で、2点だけで、それも日豪の1点ずつであり、かつ、豪の先制点及び試合を決定付けた3点目は放映されていなかったからだ。放映された2点は結果として試合の帰趨に関係なかったのだ。映像を見ただけでは同点と勘違いすることも有り得るのだから。

前半の豪2点目は主審のヘッドにボールが当たって、その跳ね返りが相手に対する絶好のパスになった。不運の一言!しかし、阪口の右から左へのサイドチェンジは、審判から見れば自分にめがけてボールが来るとは考えていなかっただろう。頭を越えて後側の日本選手に渡ると予測したはずだ。

すると、審判は頭の辺りを越えた処で受け手(日)とその周辺のマーカー(豪)を確認しつつ、豪サイドの状況全体を視野に収めることが頭にあったに違いないのだ。従って、走っている状況ではなく、立ち姿勢であったから左右には直ぐに動けず、しゃがみ込むわけにもいかず、頭を下げる以外になかった…それが。

一方、阪口は中盤でボールをキープしたが、豪選手に素早く追いつかれ,切り返しで自陣を向かざるを得なくなった処で思惑が外れて少し焦ったようだ。切り返しも180度に近く、キックに余裕がなかったように見える。

結果として最悪ケースになったが、その後の豪の素早い攻めは良かったし、逆に日本の守備陣は粘りもなかった。中央から中央右へ、ヘイマンに走られたときに、マークしていた選手は付いていかず、GKの飛び出しも早く、前への動きの最中に、簡単にヘイマンのシュートを許した。

これだけでなく、1点目、3点目の豪のゴール前の動きは研究と練習の成果を見せている様に見える。逆に、ゴール前でのマーク、競り合いに甘い日本の守備陣はどうした?と考えさせられる。ただ、1点目の連携は、らしさを示しており、有吉のゴール前の飛び出しから大儀見の得点は鮮やかだった。

次の韓国戦を合わせて簡単に云えることは、世界の女性サッカーの進歩は著しく、日本はお得意の領域、但し伸び代は小さい、だけに磨きをかけて、大きく改革すべき領域には、手が付けられていない様だ。それにプラスして日本は米国に大敗した先のワールドカップ決勝を徹底的に研究されている様に外野からは見える。

その問題の基底にあるのは、今でもキャッチフレーズになっている「最後まで諦めない」の精神だ。これは先の記事において触れた。即ち、日本は米国の自己主張に反発せず、そのプレーに付いていくだけで…諦めない姿勢が「我慢」を生み、米国選手に心理までも簡単に読まれてしまった。
 『米国に“自己主張”を許した“諦めない姿勢”~「なでしこ」の意義と課題150706』

従って、澤選手が力強く言った「全力を尽くす」に戻る必要があるのだ。「最後まで諦めない」とは、相手との闘いではなく、自己との闘いという閉鎖的な心理に自らを追い込む危険性を孕む。特に同調的雰囲気の下で、社会的圧力に晒されるとき、これに立ち向かうにはよほどの自己認識に達していないと難しい。
 『「全力を尽くす」から「諦めない姿勢」への転換~なでしこジャパンの敗因150704』

さて、全力を尽くすことにして、相手も同じ状況に変わりなく激突は続く。例えば、日本が中国、北朝鮮に勝つ確率は、豪が中国、北朝鮮、韓国に勝つ確率よりも小さいだろう。しかし、その豪も四ヶ国に対して抜きん出る実力があるとは言い難い。ドングリ五ヶ国なのだから。

それでもベトナムを除き、豪が中韓朝に勝つと仮定すれば、日中韓朝は同じ土俵にいる。それぞれが全て引分試合であれば、対豪、ベトナム戦での得失点差勝負となる。そこで、日本として応援は「豪」にすべきなのだ!
加えて、中対韓は引分けになること。

日本チームには(1)ベトナム戦での大量得点
       (2)対中、朝には最低限、引き分け を期待したい。

      


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