散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

形を作っただけのサッカー~対ブラジル戦のサムライブルー

2013年06月17日 | スポーツ
前後半の開始直ぐに、ゴール前で守備ラインを引いている前で、強烈なシュートを、ブラジルに決められた日本。一方、多少はボールを持て、枠を突くシュートも2,3本は有った日本。だが、その差は歴然としているブラジルと日本だった。

それは囲碁・将棋で言えば、投げ場を求めて形を作っただけの対戦であった。サッカーで言えば、個々のプレーではリスクを取らず、安全第一を図り、球際で競り合えず、相手に怖さを与えない内容になってしまった。

エース・ネイマールをマークした内田選手は、試合後のインタビューで「そんなに抜かれなかった」と答えていたが、結局、これが日本選手の心理状態を象徴している言葉であった。結局、形だけは作れた。ボロ負けせずに済んだと。

ネイマールは特に無理をしなくても得点し、チャンスも作り、楽に試合に勝ったのだ。内田選手は、世界の最高峰のトップ選手に本気を出させることなく、楽をさせて敗退したのだ。自らも楽をして、ホッとした思いなのだ。

ここまで書いて、想い出すのは、2001/3/24、フランスのサンドニ市で戦ったトルシエジャパンの練習試合、フランス対日本だ。その前にハッサン国王杯でフランスと引分け、日本は絶頂の気分にあった。ジダン選手率いるフランスは、開始早々から本気を出し、結局5対0と完膚無きまでに、日本を打ち砕いた。

このときは形を作る余地もなかった。しかし、闘志を顕わにし、フランスに立ち向かった選手がいた。それは中田英機だ。中村俊輔選手が試合後に「ジダンは宇宙人だ」と語ったそうだが、これは今回の内田選手と同じ心理状況を表している。

中田は日本チームの中では“別格”だった。しかし、今回のブラジル戦で中田と同じ意味で別格だった選手はいなかった。当時よりも欧州で選手生活を送っている選手は圧倒的に多い。それは日本サッカーの進歩を示しているのだが、しかし、精神的な意味で骨太の選手、中田の様な選手はいない。

それはある意味で日本サッカーをベースにした個人の問題に帰着するのだろう。今回の試合は2013/6/17であり、13年の歳月が流れる。確かに、日本サッカーの水準は格段に上がっている。しかし、その中で技術だけではなく、個人として自立している選手はいないのだろうか。それは「日本」の先行きを暗示するのだろうか!

      
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