今日は「小牧・長久手の戦い」が学習テーマです。講師は 田中 八隆(ヤツタカ)さんです。田中さんは元小学校の校長先生で、日進市史の民俗編を執筆された方であり、歴史に造詣の深い方です。
お話しのスタートはご自身の住んでおられる日進市の事からでした。かつては日進町で、人口が4~5万人だった町が24年を経過して9万人の規模の市に成長したと話されました。それに、若い人が住みたがる日本一の町、長久手市が隣接しているとかでした。
ご自身は日進市の岩崎にお住まいです。岩崎には岩崎城があります。小牧・長久手の戦いの際、羽柴方の武将池田恒興の別働隊が家康の本拠である岡崎へ進軍、 岩崎城代の丹羽氏重は、岩崎城付近を通過する池田軍に攻撃を加えました。 池田軍は岩崎城を攻撃して落城させたと言う、小牧・長久手の戦いの一端にも触れられました。
開始時間となり、お話を始められた田中先生。
先生から配られた今日の資料です。
ご自分で用意された紙片。
紙片に市名が書いてあり、合戦の位置関係の解説です。
小牧・長久手の戦いにかかわる人物。
羽柴秀吉。織田信雄、徳川家康の紙片を使っての解説です。
本能寺の変の後の清須会議や賤ケ岳の合戦。
時代背景の推移していく過程の解説です。
紙片に武将の名や市名が筆で書いて有ります。想像なのですが校長先生となると、児童の卒業証書の名を書かねばなりません。校長になる条件の内に、字が書けると言う事が有るのかも知れません。
先生の話を聞いていて、印象に残った言葉が有ります。一般的に関ケ原の合戦が天下分かれ目の戦いと言われているが、秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いこそが天下分け目の戦いではなかろうか、と言う言葉です。
長い膠着期間。そう言う説に一理、あるかもしれません。
講義の終了後に渡された資料です。
ご自身が貰ってこられた日進市の広報誌です。岩崎城の戦いが解説して有ります。お話の後にこの資料を出されました。
最後に
各務原市は南側を愛知県と接しています。今日の講師は愛知県の日進市からでした。名鉄の豊田新線。地下鉄鶴舞線、そして犬山線を乗り継いでお越しいただきました。このように遠くから来れるようになったのも新しい鉄道が出来たからです。
条件が整えば、遠くから好い講師に来て貰える。こう言う点では、各務原市は恵まれていると思います。
田中先生にお越いただきました。実は、田中先生をAさんに紹介して貰いました。私、一宮友歩会に入っています。そして友歩会の仲間に話したら、田中先生を紹介して貰いました。そして、先生にお越戴くようお願いしました。人と人の繋がりが貴重であるし、嬉しく思います。
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