1月例会の計画では、加治田城跡の見学がテーマとなっていましたが講師の都合が悪く、講師が担当しておられる古墳の発掘調査現場の見学となりました。
集合場所となっていた富加町郷土資料館です。
富加町は正倉院に古い戸籍が残る町と言われて居ます。
そのような事から、校倉造のイメージがする建物にしたのでしょう。
奈良正倉院に残る最古の戸籍-冨加町
http://www.town.tomika.gifu.jp/tourism/rekishi/saiko_koseki.html
富加町郷土資料館のすぐ前が古墳の発掘現場です。
杉林の中を歩きます。
古墳発掘現場も杉林の中に有ります。
今日の講師。
富加町教育委員会の島田さんです。
文化財が担当で発掘に携わっています。
図を手にして説明していますが、この図は前方後円墳の図です。
今、立っている場所は後円部なのですが苗田づくりの際に、古墳とは知らずに土が削り取られてしまっていると話しました。
古墳の敷地に杉洞1号古墳の標柱が立っていました。
島田さんの説明ですが、この古墳には石室が無く、木棺を直接埋葬したのだそうです。古墳に付随する葺き石も埴輪も出ていないと話していました。
それに、この古墳では、一旦埋めた後、再び掘り返しているのが判るのだそうです。何故そのような行為をしたのかが謎だと言っていました。
この古墳。西暦、200年頃。3世紀前半のモノだと説明が有りました。
まだ、発掘途中なのですが、発掘結果が楽しみです。
トレンチ(壕)をまたいで、説明しています。
こちらは前方部です。
L字型に掘られたトレンチです。
土の層が重なっている状況の説明です。
こちらは前方部の説明です。
土器が出土して来ています。
土器をアップで。
「つき」と言うモノでする
トレンチを覗き込みます。
夕田茶臼山古墳の発掘報告書と杉洞1号古墳の標柱です。
杉洞1号古墳は前方後円墳です。それに夕田茶臼山古墳も前方後円墳で、この他にもう1箇所前方後円墳が有るのだそうです。狭い地域に3箇所も前方後円墳が集中しているのは珍しいと話していました。
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