朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

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2010-02-23 | 外国の風物
バレンタインデー、Kacey Odaさん宅にてBBQ Partyに招待されました。

 "Potluck"といって、招待客が各自、料理、つまみやお酒を持ち寄ります。

 とは言っても、ホスト側では肉の仕入れ、ベースの食品、飲料、掃除、飾りつけと準備に余念がありません。



 Oda家の名物、BBQグリルはご夫婦の手作り作品で、タイルデザイン・張り合わせは奥様、骨組み工作はご主人の合作です。おっと、愛犬「弁慶」ベンのお尻もちらっと。



 奥様の雛飾りフルセットも準備完了。

 本日の客さんは、総勢30名くらいとのことですが、眺望のすばらしい広いテラスに30畳くらいのリビングダイニング、奥にはさらに広いTV室、ダイニングキッチンもあります。

 お客としていくときには、開始時間を少々遅れて到着するのが良いのですが、お手伝いをしてくださる数人の方は早く到着して、BBQ炉の準備やテーブルに料理を並べました。
 


 この日の参加者は、JPL,UCLA,UCIなど、若い日本の研究者・留学生も多く、加えて在米30年以上というシニアの方々も来られました。さらには、日本の大学に進学準備中の高校生、その先生、当地で活躍している中堅の方々など。

 ビールは、グラスに入れないで、直接ビンから飲むのがこっちのやり方。





 日が沈んでくると、空がオレンジ色に染まりました。





 この日は、ゲストのトークが2件ありました。一つは、小生のスライドショー(京の四季)。
 もう一つは、終戦直後、戦災孤児の伊藤幸男さんのお話でした。東京で浮浪児として何度も捕まりながらも、どうにか進駐軍のクラブボーイとして働き、励まされて英語の読み書きを自習。何度も留学試験に落ちたが、ようやく米国ウィスコンシン州の大学留学に辿り着く。渡米後も自活のため苦学して卒業し、米国の高校教師(スペイン語フランス語)として就職。後半は州教育局にて外国語教育として日本語授業科目の開始と教員育成に努力された。その時の伊藤氏のポリシーは、ドイツ語・フランス語の米人教員を日本語教員に再教育して転換することでした。それが、味方を増やすこと、そして後継者を継続的に育成できるポイントとなった。(伊藤氏はNHKラジオドラマ「鐘が鳴る丘」のモデルとのこと)

 名講演でした。...昨今、日本語から、中国語へのシフトが起こっていることへの質疑応答がありました。仏独語と日本語のポジション衰退に関しては、先日読んだ「日本語が亡びるとき」(水村美苗著)の論点を思い出しました。
 伊藤氏の、もう一つのメッセージは:「諦めずに努力すば道は開ける。米国は機会の開かれた社会」

日本も現代では努力と幸運があれば成果を得られる国です。明治維新の時代や終戦後の十年とは違いすぎますが。



 Oda家には立派なバーカウンターもあり、その中でホストするのが、ご主人です。奥様は、残念ながらボクのカメラには写っていませんでした。やはり主催者家の主婦としてご多忙だったようで。ご馳走さまでした。

 と、書いてアップしたとたん、集合写真が届きました。前列、左から3人目Oda夫人です。



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