佐藤愛子「九十歳。なにがめでたい」小学館 2016年刊
旅行前、本屋にぶらりと立ち寄り平積みになっていた本である。著者が昔遠藤周作とやりあっていたころからの馴染みである。題名ほど世をすねたものではないが、相変わらずの随筆は面白い。あっという間(フランクフルトに付く前)に読んでしまい、旅のお供というわけには行かなかった。
著者は最近長編小説を書き上げ、一種の虚脱状態になっているということを述べておられるが、佐藤藍子も人並みになったなあという実感である。やることがなくなって、少し寂しさを感じているのだそうだ。それでも身の回りの森羅万象をこれだけ面白く取り上げ、ぼやいたり、快哉を叫んだりするのは並大抵の感性ではない。
本書は題名のようにひたすら年齢に抗ったり、他人と対抗したりしているのではなく、たまたま行きがかり上付けた題名というくらい軽く考えて頂きたい。
佐藤藍子はまだまだ大丈夫な気がする。
旅行前、本屋にぶらりと立ち寄り平積みになっていた本である。著者が昔遠藤周作とやりあっていたころからの馴染みである。題名ほど世をすねたものではないが、相変わらずの随筆は面白い。あっという間(フランクフルトに付く前)に読んでしまい、旅のお供というわけには行かなかった。
著者は最近長編小説を書き上げ、一種の虚脱状態になっているということを述べておられるが、佐藤藍子も人並みになったなあという実感である。やることがなくなって、少し寂しさを感じているのだそうだ。それでも身の回りの森羅万象をこれだけ面白く取り上げ、ぼやいたり、快哉を叫んだりするのは並大抵の感性ではない。
本書は題名のようにひたすら年齢に抗ったり、他人と対抗したりしているのではなく、たまたま行きがかり上付けた題名というくらい軽く考えて頂きたい。
佐藤藍子はまだまだ大丈夫な気がする。
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