三連休明けの16日一枚のハガキが届いた。姪からである。
かねてから闘病中であった妹が9/8に亡くなったという知らせであった。姪は若くして姉を失っており、今年2月に父を送り、そしてこの9月に母を送り、とうとうひとりになってしまった。
妹の美学として、痩せさらばえた姿を誰にも見せたくないという強い意志で、危篤状態になってもまわりには一切知らせるなと、医者である自分の子供に頼んであったらしい。姪は一人で葬式を出し、母親を送ったという。
妹は私と同じで人手不足の中、大手のメーカーを辞め、家業の事務を任された。「家業から企業へ」という思いは同じように強く、公私の混同については、よく兄などを諌めていた。甥っ子が入社してからもそのことについては東京などでよく指導をしていたが、とにかくある種の使命感をもっており、近年の会社のあり方を未だに嘆いていた。
私とは年子の生まれで、子供の頃は時々喧嘩をした覚えがある。その反面、協力的なところもあり、いつぞやの大晦日など、二人でお櫃に残ったご飯を一生懸命片付けた(食べた)記憶がある。
女性の特徴であろうか、実務的な処理については判断が早く、中小企業の経理・庶務にはうってつけの人材であった。東京へ嫁いでからも、東京営業所を手伝ってもらい、無くてはならぬ人材としてかなり長く頼りにされた。まさに家業から企業へということで、私が東京の責任者の時、身を引いてもらったが、何故わざわざそんなことをするのか、と当時の東京の所長からは恨まれた思い出がある。
私より一歳下で亡くなり、これでこの3年間は毎年一人ずつ兄弟姉妹を失ったことになる。
年代とはいえ寂しい。