権助の冒険

ノンセクションでぼちぼちと。

田んぼの丸かじり

2008-05-25 12:43:20 | 日記・エッセイ・コラム

さすがに田んぼは丸かじりできないので、このトーンでの書き込みはお仕舞い。
さて五月の下旬、そろそろ梅雨前線もかかろうかと言う時期で、いよいよここら辺も田植えが始まった。Taue01
Taue02 田植えというのはかつては日本の原風景でもあり、日本全国どこでもお米の栽培を競っていた時期があった。(らしい)
井上ひさし氏によれば「稲作」こそ日本に残すべき文化で、そもそも「天皇制」もここに行き着く、という意味の様なことを言ってました。
そんな難しいことは抜きにして、なかなか懐かしい風景でこれが秋には黄金色に一変するのは壮観ではあります。
地元の人たちは、収穫したのを何日か干すと一味違うらしいのですが、味わわせてもらえなかったので本当の所は分からない。
今年の秋には試してみたいと思う。

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塩辛の丸かじり

2008-05-18 19:39:53 | 日記・エッセイ・コラム

前回に引き続き今回も「東海林さだお」さん風に。
塩辛族(旨いもの分類学上確かにこの族は存在する)の中で世間に媚びずに絶滅危惧種寸前の塩辛が「鰹の塩辛」である。同属の「イカの塩辛」はこの絶滅の危機にいち早く気づいたことで女性や子供に真っ先に媚を売り始め、塩分を減らすは甘みをつけるはで、もはや冷蔵庫無しでは生存できなくなってしまった。
しかしながら彼らの努力は、見事に実を結びもはや全国津々浦々にその生息場所を得るに至っている。
一方我らが「鰹の塩辛」は頑ななまでに媚を売ることを拒み、いやなら「買わなくても良いんだよ」「別に俺らは女子供に食われなくても酒飲みが居るもん、ふん!」てな具合だったのが災いして世間から疎まれて見事に生息場所を失い、もはや漁村の一角でひっそりと生息する絶滅危惧種となってしまった。
しかし「鰹の塩辛」は依然として一族の重鎮としてその存在感を誇示してかつての栄光を取り戻すことを夢みているのであった。

先週ふと「鰹の塩辛」が矢も盾もたまらなく食べたくなって、大分ジタバタしたけれども、本家西伊豆産のものを入手した。想定どおりの塩の聞き具合と香り(=生臭さ)で白いご飯とは絶妙のマッチ、大いに満足した。今度は日本酒の友にしてみよう、などと考えている。
Siokara01 Siokara02
そしておまけの一枚。河川敷の景色も場所が変われば、、、Kawa01

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コーヒーのまるかじり

2008-05-06 17:07:43 | 日記・エッセイ・コラム

今回のタイトルは「東海林さだお」さんのパクリです。(ついでに文体も)
5月3日土曜の昼下がり、買い物のついでに少々の時間調整のために喫茶店でコーヒーを飲んだ。 名前は「コロラド」とどこにでもある名前。何となく昭和の雰囲気をもつ場末の喫茶店。労務者風の人たちがランチにピラフとコーヒーを注文するような、禁煙などとは無縁な場末の喫茶店、厨房(といってもカウンタの奥の流し)でレタスをせっせと洗っている愛想の悪い店のおばさん、どこから見ても場末の喫茶店そのもの。ところがコーヒーは一応サイホンらしきもので沸かし、それをカップに注いで持ってくる。 サイホンに3割くらい残っていて何となく恨めしい気分で店のおばさんを見るがもちろんおばさんはそんなのは無視してこちらへ無言で運んでくる。これを砂糖とミルクを垂らして一口飲んでみた。
とととと、これが実に旨いコーヒーで、期待したのがドトールかスターバックス並の味なので予想外の味と香りで久々に本格的なコーヒーを堪能して幸せな気分になった。
以前有楽町で500円のコーヒーを注文してその香りと味にえらく関心した覚えがあるが、それ以来の味と香りを彷彿させその記憶から500円の出費を覚悟した。が勘定をすると420円で、80円儲けた気分にしてくれた。
ドトールは喫煙可と安いコーヒーなので味と香りは我慢我慢で納得なのだが、スターバックスは高い不味い(あくまでも個人的な主観)のに結構客が入っているので実に不思議だと思う。そもそもアメリカ人の舌が選んだコーヒーなんて旨い訳が無いと思うし、他のシアトル系の珈琲もイロイロとあるがどれも似たようなもんで、日本人の舌もアメリカ人みたいになっているのかもしれないなどと思う、不幸なことだ。

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