権助の冒険

ノンセクションでぼちぼちと。

「2001年宇宙の旅」

2024-02-02 21:51:06 | 映画

この映画も映画館で観たい一作、CG無しで作成された精緻な画面は今でも通じる立派なもの。
ただHALの修理でプリント基板が出てきて、14PIN-DIP-ICが並んでいたのはこの業界関係者以外は気が付かなかっただろう、それとパネルTVもSD画像なんで時代を感じる所はある。
さてこの映画はリバイバル上映で観たが(初公開から15年後位)、画面には圧倒されたものの鑑賞後は”???”、そしてその後も何度かリバイバル上映に足を運んだ。
クラークの小説はかなり明快なストーリ展開が多かったから、このSFニューウェーブの様な内容には少々がっかり、でもそれから何度も(ビデオやDVD)も飽きずに観た、そして観れば観るほどこの不思議な世界にのめり込んだものだった。そして最近ユーチューブで宇宙や素粒子物理はては宗教番組などを観ている内に、この映画のラストの10分間が何となくではあるが漸く理解できた。

〔内容〕
 古代、猿人たちの世界、彼らの眼前に屹立するモノリス、それに触れた猿人が骨を武器として用い他の猿人を打ち殺し、そして空高く放り投げられた骨は一瞬にして宇宙船への画面(現在=2001年)に変わる。
月の裏側にモノリス(未知の人工物)が発見され、そのモノリスから木星に向かって電磁波が放射される。
そして科学者たちは木星に向かって調査のために探査船ディスカバリー号を送る事とした。そして航行中にコンピュータHALに異変が起こり、、、、

この映画のラスト10分間についてー
これは量子論における「観察されるまで事象は確定しない」、又は最近の”とんでも説”では結果の数だけパラレルワールドが存在する、といった事から考えるに、時空の壁(サイケデリックな空間)を超えたボウマン船長が観た先は老いた自分の姿の食事風景、その老人が振り向くと今際の際の老人、その老人の指さす方向にはスターチャイルド、、、
これは観測した瞬間に結果が確定し、最終的に転生する仏教観みたいな解釈がではなかろうか。そしてそんな風に思うと無性にまたこの映画を映画館で観たくなった。
なおこの映画はかつての「テアトル東京」でシネラマ上映を観た時ことがある、この時は感激した。



2001 A Space Odyssey - ending

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