本日鑑賞「ヤクザと憲法」。
ものすごくレアな映画だと思っていたら結構な入りで、客層は老若男女でバランスが良い。
こんなドキュメンタリー を許可したヤクザの組長も撮った方も共にえらい。
ヤクザの人権とか憲法論議とか難しい話もあるが、映画は(かなり悲惨だと思うが)ヤクザの人たちの日々を淡々と追い、それに加担している顧問弁護牛(この人はどう見ても見せしめで起訴されたと思えるが)のインタビュー。
音の使い方が秀逸で要所ゝで無音となる、あたかも聴衆に考える時間を与えるがごとく。
最後に聴衆(映画を見ている我々)の素朴な疑問に親分が答える。
「なんで(ヤクザを)辞めないんですか?」
「辞めたらどこに受け皿があるんだ」 と親分。
なお、顧問弁護牛はこの質問にあっけらかんと「この世界に興味があったんだろうね」。
さてこの映画を見るとあの世界が追い詰められているのが良く分かる、でも入門(?)する20歳の青年もいた。
面白かったのは撮影の最中に警察の手入れがあって、そこの刑事の方がヤクザの人たちよりもよほどチンピラ風で怖かった。
その昔、多分40年位前、兄と車に乗っていてヤクザの親分の葬式の付近を通過、黒い服(当然だけど)で人相の悪い人が沢山道に広がってあるいていて、その中を緊張の極みで徐行して通過、怖かった。
もう一つ、警察官OBとお話しする機会があって、最近ではヤクザを挙げると点数が高い(普通の犯罪者の3倍くらい)から、あの世界では一人のヤクザ検挙で我も我もと名前を連ねたくなる様な風潮らしい。
しかしこの世界、何故いまだにしがみついている人たちが居るのか本当に良く分からない、それに彼らに人権はあるのか、あるいはあって当然なのかも良く分からん。
話は少しだけ代わって、「顔な無いヒトラーたち」という名作映画を昨年見たが、この中の会話と少しだけかぶる。
物語の終盤で、ポーランドの収容所から生還したユダヤ人(主人公の友人)に主人公が尋ねる。
「なんでここ(いやな悲しい思いでのあるドイツ)に戻ってきたんだ?」
「では、逆に聞くが、他のどこに行けというんだ」
どちらも虐げられたと言えば言えるが。
『ヤクザと憲法』劇場予告編