風月庵だより

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故郷の風に吹かれて

2006-07-04 19:16:15 | Weblog
7月4日(火)晴れ【故郷の風に吹かれて】

故郷に帰ってきたが、寒いので夜は暖房が必要なほどであった。この度の故郷行きは墓地の名義を換えるためであった。とりあえず名義書換について一通りの手続きだけは押さえてきた。まずは現在登記されている人のひ孫さんに会った。前もって事情は話してあったが、会うのははじめてである。五人ほどの印鑑証明や書類に印が必要なので、挨拶だけではなく、諸手続きをして頂くために多少なりともお礼も渡さなくてはならない。

翌日は司法書士の先生に会って、懸念の費用を尋ねる。私にとってはかなりの額であった。それでもそれをしなくてはならない立場に出会った者が、勤めを果たさなくてはならないだろう。

このぐらいのことはなんでもありません、と強がりを言ってみる。でも私が小さい頃から私の家に間借りしていた姉のような人を訪ねて本当にそう更に思った。この人を仮にS子姉さんと名付けると、S子姉さんは十代から七十才位まで、病身の父親や兄弟や妹たちの為に働き続けてきた人だ。

私の故郷は花街なので、S子姉さんも花街で働いた。他人が「あんたの親はあんたを食い物にしている」などと言うと、「嫌なことを言うよね。私はそんなことを思ったことは一度もないよ」と憤慨していた。しかし端から見ればそのように思ってもしようがないほど親に尽くしていた。父親に生活費を届けに行くというこの人に付いて行ったことがたびたびあるので、私も子供心にも親に尽くすところを見ていた。

「家の商売でもあれば、私だってそれをもとにどんだけ頑張ったかしれないけど、うちにはカラスにぶつける土くれさえ無いんだからしょうがないやね。」と言って、ひたすらに花街で働いていた。子どもの頃の私には分からないことも多かったが、今にして思えばいろいろなご苦労があったことと察せられる。それでも「私は愚癡も言わなかったけれど、兄弟に恩を着せたこともないんさ。それぞれの兄弟にやってやれることをしただけだよ。」と言う。

プライバシーのこともあるし、あまり書けないが、家族のためにこの人ほど働いた人も少ないだろう。また病弱なお父さんが、九十歳以上も長生きをしたので、この人は働き続けなくてはならなかった。今は家族への役目を終えて、悠々とした日々を送っている。

私は小学校に通う六年間、この人の姿に教えられたことが多いと思う。家族のために働くことや家族のために働いても恩を着せないということ。そんな人生哲学を、この人から実は小さい頃に植えつけられたのかもしれない。私も五年ほど家族の借金を返すために、小さな会社を経営して夢中で働いた時期があった。しかしそのことで借金を作った次兄に何か言ったことは思えば一度もない。

その経験のお蔭で多くのことを学んだし、出家してからかえって多くの嫌な目に遭ったが、少しのことではふらふらしない根性も養えたようにも思う。(勿論出家してから嫌なことばかりではなく多くのことに恵まれているが。)とにかくマイナスは一つもない。しかし私の経験はS子姉さんのご苦労の足元にも及ばない苦労に過ぎない。

S子姉さんのような人はこれからの世の中にはもう出ないだろうとさえ思う。このような人を人生の早い時期から知っていたということは、私の財産だと今回もお会いしてつくづく思った。墓地の名義変更の苦労などなんでもないこと。世の中は巡り回るでしょう。頑張りましょう。

でも自分たちにはほとんどあまり益の無い、印鑑集めやらのご面倒をかけてしまうひ孫さんたちには感謝。このご夫婦の部屋に不屈の矢沢永吉の大きなポスターが二枚も貼ってあった。奥さんが大ファンとのこと。またこの奥さんは小学校の同級生の姪御さんでした。世の中はそんな意味でも巡り回っている。あまりに切ないことの多いこの頃、触れあう人とは暖かい付き合いをしていきたいものだと、故郷の風に吹かれてそんなことを胸に納めてきた。

帰りのドライブインで、「風知草」という名の鉢植えを買ってきた。風を知るのでなく、風が知るのである。地球上を駆けめぐる風は人間のいとなみの一切を知っているのだろう。

今日、悲酸な事件の判決がおりたことも。許し得ない犯罪の数々を、風はどんなふうに知るというのだろう。身の回りのことの対処に追われている姿などは、横目に見ながら通り過ぎていくのだろう。