
7月24日(土)晴【地デジアンテナ】
この頃、アンテナがやたらに目に付くようになりました。地デジという放送になるので、アンテナを立てなくてはならないそうですね。
目に見えない電波が今でも空気中を飛んでいるのでしょうが、地デジになるとさらに強い電波が飛び交うのでしょうか。
今日は友人から、先に逝った人が、訪ねてきた話を聞いてきたのですが、そのような交流が少し妨げられるような気もしてきます。電波とは違うでしょうが。
こちらもいつもアンテナを立てていたいと思います。この世にもあの世にも。
あの世などないと言うのも自由ですが、いろいろな体験を否定はできないでしょう。自分の見える世界だけが全てではない、という謙虚な気持ちは持っていたいですね、お互いに。想像を絶することがあっても何の不思議もない世界です。
お掃除と洗濯と炊事だけで今日も一日が終わりました。
このように日常のことは勿論大事です。しかし、それを強調するあまり、宇宙とぶっつづきのこの生命の世界を狭くしてはいないか、と思います。
地デジアンテナもいいですが、朝焼けの輝きに感謝。
(夕焼けの空にも地デジアンテナがちらほら、などと言うよりも、今日も一日を有り難う)
この頃、アンテナがやたらに目に付くようになりました。地デジという放送になるので、アンテナを立てなくてはならないそうですね。
目に見えない電波が今でも空気中を飛んでいるのでしょうが、地デジになるとさらに強い電波が飛び交うのでしょうか。
今日は友人から、先に逝った人が、訪ねてきた話を聞いてきたのですが、そのような交流が少し妨げられるような気もしてきます。電波とは違うでしょうが。
こちらもいつもアンテナを立てていたいと思います。この世にもあの世にも。
あの世などないと言うのも自由ですが、いろいろな体験を否定はできないでしょう。自分の見える世界だけが全てではない、という謙虚な気持ちは持っていたいですね、お互いに。想像を絶することがあっても何の不思議もない世界です。
お掃除と洗濯と炊事だけで今日も一日が終わりました。
このように日常のことは勿論大事です。しかし、それを強調するあまり、宇宙とぶっつづきのこの生命の世界を狭くしてはいないか、と思います。
地デジアンテナもいいですが、朝焼けの輝きに感謝。

しかし科学はあらゆる方法で、見えないものの存在を証明します。例えば、太陽系の未発見の惑星、周期律表の未発見の元素。理論的には存在するとされましたが、発見できませんでしたが、結局発見されました。
科学にも未知の世界が沢山ですが、それと霊の世界、あの世の世界と同質でしょうか。私は違うように思います。それは結局立場は違いと言えましょう。
人間の意識、精神などと言うものを、物質(科学の世界)から切り離せば、あるともないとも言うは自由になります。元々人間は見えていない世界に居るのですから、見えないまま都合の良いように、考え生きればいいのでしょう。
しかし、電波や科学的な多くのことが人体に及ぼす影響は大きく、人体の繊細な能力が稀薄になることは考えられます。
《元々人間は見えていない世界に居るのですから、見えないまま都合の良いように、考え生きればいいのでしょう》
春さんのご意見はもっともです。
見えすぎて苦しんでいる知人がいます。見えない方が楽なことが多いともいえましょう。無理に自然な状況を破ることはないわけです。ただ、へーえ、そんなこともあるの、というように、自分に分からないことにも、そうか、と受け入れる柔軟性はあってもよいでしょうね。