風月庵だより

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第二章 一隅で掌を合わせつつ

2009-02-26 22:45:24 | Weblog
2月27日(木)雨のち曇り【第二章 一隅で掌を合わせつつ】

本の帯には普通、本の中身が分かるような宣伝文句を入れることが多いようですが、『雲と風と月とー尼僧の供養記』の帯には、私の短歌と、ちょっと言葉を入れさせて貰いました。

彼岸花 咲き乱れたる 野辺に立ち 一陣の風に 冥福を祈る

彼岸花は、不思議なほどお彼岸の頃に咲きます。真っ赤な彼岸花、稀に白い彼岸花も見ることがあります。彼岸花は群生して咲いたとしても、それは、お彼岸に亡くなった人たちが、まるで帰ってきたような霊的な感じを抱かせる霊妙な花です。そしてまた、無常の風が吹いて、どなたか一人、またこの世を去られたのでしょうか。私もまた、おくりびとの一人として、去りゆく人の冥福を祈るのみです。

輝いて生きなくてもよい いぶし銀のように じっくりと生きよう

高校時代に、中勘助の『銀の匙』を読んで感激して以来、「いぶし銀」という言葉が深く心に残っています。そしてじっくりと生きることにいぶし銀のような味わいを見いだせる年齢になったのでしょうか。「輝いて生きる」ことを世の中でははやし立てているようですが、それはどんな輝きなのでしょう。ただ賑やかに騒ぎ立てて、他人からちやほやされて生きることだとしたら残念です。他人の価値観に合わせて喝采を受けるような生き方だとしたら残念なことです。こつこつと努力し、黙々と働き、自分のなすべき事を一つ一つ丁寧に、周りを大事に、触れ合う人も猫も犬も、鳥にも花にも空行く雲にも目をそそぎ、而今の空気を呼吸して生きていく、自分を生きていく、この安心………

さて、本の第二章は「一隅で掌を合わせつつ」という題です。

一、平成十七年随想
  性教育の必要性
   あいりちゃんを悼む
    子どもの挨拶
     少女の事件と胎教

二、平成十八年随想
  孤独なる死
   宮崎勤事件に思う
    天才少年と胎教
     日本号危うからずや
      山川雄樹君を悼む
       御手洗怜美さんを偲ぶ-佐世保の事件はなぜ起きたか
        教育を考える-立腰教育について
         悲しみ-秋田小一男児殺害事件に思う
          光市母子殺害事件に思う
           空-人は変わりうると釈尊は説く
          木下あいりちゃん、種元駿ちゃんを悼んで
         インドと月光
        ヒロシマ
       ナガサキ
      子どもの身心をむしばむもの
     人身事故
    滝川小学校の少女を悼んで
   昔の熱血先生
  核は食べられない、お金も食べられない
 いじめられても自殺しないで


この後まだ「三 平成一九年随想」と「四 平成二〇年随想」がありますが、長いのでこの辺にしておきます。年がら年中と言ってよいかもしれませんが、社会では多くの悲劇が起きてしまっています。人々は殺人と聞いても、この頃はそれほどの驚きで聞かないほど鈍感になってはいないでしょうか。少年や少女が犠牲になる事件も大変に多く起きてしまっています。いくつかの事件を書き留め、少しでもそのような事件を二度と起こさない、起こさせない方法は無いのか、共に考えてみたいと思います。後から後から起こり続ける事件にあおられてか、以前に起きた事件は人々からも忘れ去られようとしています。犧牲者の家族にとっては忘れられない唯一の事件です。風化させないためにも、いくつかの事件を書留め、さらなる冥福を祈りました。

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