
9月28日(日)曇り【チベットのジャンヌ・ダルクその2】
なぜガワン・サンドルはインドに逃げなかったのでしょう。なぜわざわざ再び監獄に入られるようなことを敢えてしたのでしょうか。たとえ「チベット独立!自由チベット」と、武器を持たずに叫ぶだけでも、刑をきせられることを承知していた筈なのに、何故?
それを『囚われのチベットの少女』の著者は「自己施与の精神」と表現しています。また次のようにも書いています。「生き物はすべて死に、別の形でどこかに生まれ変わる。今生においては今までの生の果報を受ける。男性であれ、女性であれ、動物であれ、今の生で起きることはすべて、前世の善悪の行い、欲望の結果である。言い換えれば、各人は自分の幸福、不幸に責任を負わねばならない。智慧と慈悲によって、いつかこの果てしない輪廻から逃れ、涅槃に達することを望むことができる。」と。
このような解釈はチベット仏教の教えといえましょう。日本の仏教ではこのように説きますと、問題になる点があります。チベット仏教ではその人自身が輪廻転生すると説いています。ダライ・ラマ様の生まれ変わりを探すことでもこのような輪廻転生のとらえ方はよく知られています。ガワン・サンドルにも、たとえ死してもまた生まれ変わってチベット独立を叫ぼうという強い信念があるのではないでしょうか。
そして死を恐れないことを教えられているでしょう。死を恐れるよりも勇気を持たずに生きることのほうを恐れているのではないでしょうか。「死は避けられないものと分かっているので不安に思う必要はない。私にとって死ぬこととは、古着を新しいのととり替えるようなものだ。」と『囚われのチベットの少女』の中にも『自由は遠くに』という本の中の言葉が紹介されています。
ガワン・サンドルは命が終わるまで、「フリー・チベット」を叫び続けるつもりなのではないでしょうか。
さて、ダプチの監獄に懲役3年の刑で入れられた少女はそれからどうなったのでしょうか。監獄の朝は早く、4時半起床。5時ランニングーこれは拷問で痛んでいる体の人にとっては、かなり辛く、遅くなるとまた竹棒で殴られるのだといいます。6時半朝食ーティンモ(チャパティのようなものか)一つと塩の入ったお茶だけ。7時から労働ー暑すぎる温室の中で野菜の収穫作業、この間水も飲ませてもらえない。
13時昼食ーご飯とおかず一品(一週間同じおかず)。14時まで編み物の仕事。14時ー再び労働ー気絶する者がでるほどの暑さの温室での作業、殺虫剤のために喉をやられてしまうが治療など決して受けられないそうです。18時夕食ーティンモ一つだけ。お茶なし。18時半編み物の仕事。18時45分トイレ休憩ー早くすませないと氷の張った上で裸足で立たされるとは便秘の人は辛いでしょう。19時就寝ー点呼に遅れるとまた殴られるとは。
このような日々のなかで政治犯の尼僧たちは歌を作ることを思いついたのです。ダライ・ラマを讃え、豚の餌のような食事と殴られ乱暴されても、チベットの独立を願う決心は変わらない、と歌いました。それらのいくつかの歌詞の歌を外の世界にアピールするためになんとか届けようとテープに録音しました。テープレコーダーは一般刑の囚人からの借りたのです。夜、監視の目を逃れて必死で録音したのです。
しかし、これが発覚してしまい、それぞれ刑期が延長されてしまいました。ある尼僧は7年、ある尼僧は9年、そしてガワン・サンドルは6年の延刑になってしまいました。16歳で刑期を終えて出獄できる予定でしたのに、さらに6年、22歳になるまで監獄から出られなくなってしまったのです。
今日はこれまでに致します。平和な国の老尼は自由に本を読むことが許されています。猫と遊ぶことも、猫の行く末を心配することも許されています。戦争に加担しそうな新総理には注意を要するでしょう。
なぜガワン・サンドルはインドに逃げなかったのでしょう。なぜわざわざ再び監獄に入られるようなことを敢えてしたのでしょうか。たとえ「チベット独立!自由チベット」と、武器を持たずに叫ぶだけでも、刑をきせられることを承知していた筈なのに、何故?
それを『囚われのチベットの少女』の著者は「自己施与の精神」と表現しています。また次のようにも書いています。「生き物はすべて死に、別の形でどこかに生まれ変わる。今生においては今までの生の果報を受ける。男性であれ、女性であれ、動物であれ、今の生で起きることはすべて、前世の善悪の行い、欲望の結果である。言い換えれば、各人は自分の幸福、不幸に責任を負わねばならない。智慧と慈悲によって、いつかこの果てしない輪廻から逃れ、涅槃に達することを望むことができる。」と。
このような解釈はチベット仏教の教えといえましょう。日本の仏教ではこのように説きますと、問題になる点があります。チベット仏教ではその人自身が輪廻転生すると説いています。ダライ・ラマ様の生まれ変わりを探すことでもこのような輪廻転生のとらえ方はよく知られています。ガワン・サンドルにも、たとえ死してもまた生まれ変わってチベット独立を叫ぼうという強い信念があるのではないでしょうか。
そして死を恐れないことを教えられているでしょう。死を恐れるよりも勇気を持たずに生きることのほうを恐れているのではないでしょうか。「死は避けられないものと分かっているので不安に思う必要はない。私にとって死ぬこととは、古着を新しいのととり替えるようなものだ。」と『囚われのチベットの少女』の中にも『自由は遠くに』という本の中の言葉が紹介されています。
ガワン・サンドルは命が終わるまで、「フリー・チベット」を叫び続けるつもりなのではないでしょうか。
さて、ダプチの監獄に懲役3年の刑で入れられた少女はそれからどうなったのでしょうか。監獄の朝は早く、4時半起床。5時ランニングーこれは拷問で痛んでいる体の人にとっては、かなり辛く、遅くなるとまた竹棒で殴られるのだといいます。6時半朝食ーティンモ(チャパティのようなものか)一つと塩の入ったお茶だけ。7時から労働ー暑すぎる温室の中で野菜の収穫作業、この間水も飲ませてもらえない。
13時昼食ーご飯とおかず一品(一週間同じおかず)。14時まで編み物の仕事。14時ー再び労働ー気絶する者がでるほどの暑さの温室での作業、殺虫剤のために喉をやられてしまうが治療など決して受けられないそうです。18時夕食ーティンモ一つだけ。お茶なし。18時半編み物の仕事。18時45分トイレ休憩ー早くすませないと氷の張った上で裸足で立たされるとは便秘の人は辛いでしょう。19時就寝ー点呼に遅れるとまた殴られるとは。
このような日々のなかで政治犯の尼僧たちは歌を作ることを思いついたのです。ダライ・ラマを讃え、豚の餌のような食事と殴られ乱暴されても、チベットの独立を願う決心は変わらない、と歌いました。それらのいくつかの歌詞の歌を外の世界にアピールするためになんとか届けようとテープに録音しました。テープレコーダーは一般刑の囚人からの借りたのです。夜、監視の目を逃れて必死で録音したのです。
しかし、これが発覚してしまい、それぞれ刑期が延長されてしまいました。ある尼僧は7年、ある尼僧は9年、そしてガワン・サンドルは6年の延刑になってしまいました。16歳で刑期を終えて出獄できる予定でしたのに、さらに6年、22歳になるまで監獄から出られなくなってしまったのです。
今日はこれまでに致します。平和な国の老尼は自由に本を読むことが許されています。猫と遊ぶことも、猫の行く末を心配することも許されています。戦争に加担しそうな新総理には注意を要するでしょう。
>死は避けられないものと分かっているので不安に思う必要はない・・・
この天晴れなまでの死生観。精神の強さ。
世界のミュージッシャンがフリーチベットを叫んでいるとき、愛だの恋だの軟弱な歌ばかり作っている日本のミュージシャンも目を覚まして活動に参加せいっ!
抵抗運動においても、テロ活動においても、自爆が多発しているのは、宗教の影響でしょうか。お国の為と、自分の為が一致しています。その根拠を宗教が与えているのでしょうか。
昔は自爆と言えば、神風特攻隊の自爆が日本の専売特許でした。これをして日本人の特殊性とされてきました。神風特攻が天皇崇拝の宗教と看做せば、前述の通り宗教に普遍的な出来事で、ただ先駆的であったと言うことになります。
しかし天皇崇拝、神道には輪廻転生、天国直行の考えはないのでは。何の見返りもなく一方的に自分の命を捧げることになりますが、そう言うことはないのでしょう。即ち天皇の為に命を惜しまないのではなく、そのように子供の時から政府によって洗脳されてきたのでは。
そこでまた考えました。洗脳であれば、洗脳する主体が政府であっても、宗教であっても同じではないか。(信仰と洗脳は能動、受動と性質は違っていますが、個人の行動に与える影響は同じになると考え、同列としました。)被洗脳者として人は今、世界中で自爆行為をやっているのでしょうか。そうだとしたら無意味で哀しいことに思えます。
そもそも自分の命と引き換えに出来るほどの外的価値があるのでしょうか。あるとしてもそれが、天皇であったり、宗教であったり、抽象的な概念であるとは理解できません。命を賭する価値のあるとすれば、自分の子供くらいのものでしょう。
しかし自分の子供を守る行為が、支配者に対する自爆的な行為には繋がりにくいのです。即ち自分が自爆しても支配者(層)が直ちに崩壊するものではなく、一方自分の子供は直ちに飢えるからです。子供を殺された母親が自暴自棄になって復讐するのは分ります。テロリストが利用するのはこの母親の心理です。
こう考えてくると、この少女の行動には疑問が湧きます。少女の意思というより、何かが乗り移っているようにすら思えます。
しかし基本的にチベットを侵略占領しているのですから、この路線は中国政府の基本方針なので、この根本が正されない限り、なにがよくても駄目ですね。
マスコミに売れている日本のミュージッシャンはたしかに骨抜きですね。ミュージッシャンのみならず日本人が骨抜きですね。骨抜き政策は非占領時代のGHQの仕業だと、いつも言う友人がいますが。
宗教は阿片だ、と言った人もいます。仏教でもイスラム教でもなんでも狂信的になりますと、弊害が生じてしまいます。
ガワン・サンドルの信念はどこからきているのでしょう。これを狂信というには、その願いの揺るぎないことと、過酷な拷問に耐える姿を垣間見ますと、そうとは言えませんでしょう。信仰はたしかにささえでしょう。
信仰なくして、この戦いはできないでしょう。
かつて日本の若者たちが天皇崇拝のもとで神風特攻隊にさせられましたが、天皇陛下のためだけではなく日本国のため、同朋のためでしょう。そして最後は「おかあさん」と叫んだのではないでしょうか。
天皇陛下も決して、特攻隊として散ることを望んではいなかったのではないでしょうか。ご存じなかったのではないでしょうか。
日本軍の仕業です。
テロも人々の純粋な信仰心(ジハード)を利用し、子を殺された母のせつない復讐心を利用し、誰かが利を得ようとしているのです。
イスラムの教えそのものは、砂漠の過酷な生活条件のなかで相互扶助の精神に基づいた有り難い教えです。
幼い頃からの洗脳はたしかにすごい効果がありますから、社会の一員として、真っ当に生きていくことを洗脳したいです。
おそらくガワン・サンドルさんは、不屈の抵抗心でまた監獄でなにかするかもしれません。そうしないで出てきて欲しいとは思いますが、それはわかりません。その時は死刑と決められているのだそうです。
彼女はそれを我が道と受けとめるのでしょう。しかし、その時は知らぬふりしていた世界もなんとかしなくてはならないでしょう。捨て身の騒動は度々に起こされていますが、ほとんど報道されないでしょう。この本もほとんどの人が知らないのではないでしょうか。
私はたまたま印仏学会という会場で見つけました。少しでもこのようなチベットの状況を紹介したいと思っています。
マスコミは肝腎なことを報道しませんから。人々がセンチに受けとめるような事やら、残虐性を興味深げに、さらに煽り立てるように報道するのが、日本のマスコミの状況です。これが青目さんのいうところの「楽」でしょうか。私はこの頃テレビを全く観なくなりました。
コメント有り難うございました。