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風月庵だより

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供養記 本師遷化の日

2005-12-21 23:02:42 | Weblog
12月21日(水)【供養記 本師遷化の日】
九年前のこの日、私の本師は示寂なされた。世寿八十五歳であった。
 悠々とした生き様を弟子たちに示してくださった、まことの禅僧と言わせていただいてよいであろう。本師に対しての賞賛の言葉は限りなくある。限りがないので、いちいちあげるのは敢えてやめておきたい。
 曹洞宗では得度(とくど)の師、立職(りっしょく)の師、そして嗣法(しほう)の師と一応一人前になるまでに三人の師に弟子として認められなくてはならない。この三段階の師が一人の師のケースもあれば、得度と立職が同じ、または得度と嗣法、立職と嗣法が同じというケースもある。私の場合はそれぞれの師が異なる。得度の師にも立職の師にも、そして嗣法の師にも私は恵まれた。有り難いことだと思っている。
 しかし嗣法までの道のりはたやすいものではなかった。苦節十年という言葉があるが、十年にしてようやく嗣法を許していただいた。
 本師示寂のあと、私がどのように生きるかということが、師に対する供養であろう。香華を手向けることだけが供養ではあるまい。
 私は五十歳にして駒澤大学に入学した。実は仏教とはいったいどのような教えなのか、どうもぼんやりとしていたのである。たしかに坐禅もよくつとめた。まことのお師家(しけ)様のご提唱(『正法眼蔵』など禅録を説いていただくこと)も出家の前から、よくお聞かせいただいた。そして得度の師にも嗣法の師にも厳しく育てていただいた。特に得度の師の厳しさは今では心から有り難いと思っている。また示寂の日までお仕えした嗣法の師には、禅の眼を教えていただいたと今は思っている。
 ただ仏教の概論のようなことが、私にはどうもぼんやりとしていたのである。師匠に仕えていた間はいつも師匠の手伝いや作務(さむー雲水の仕事のこと)にあけくれて落ち着いて本を読む時間はほとんどなかった。
 師匠が示寂なさって私には本を読む時間ができた。おそらく今度はそのような修行の時であろうと、私は判断した。それから大学院も博士課程まで学んで、今研究所でさらに研究の日々をおくっているのである。少し仏教が見えてきた。出家してよりほぼ半世紀、やっと少し霞みが晴れてきたようなところである。
 仏教にもいろいろな教えがあって、禅は一つの道である、こんな当たり前のことが実はよくわからなかったということを告白いたしましょう。
 まだまだ師匠の供養として充分な学びとはなっていないが、精進することをあらためて師に誓ったことである。
 

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