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風月庵だより

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退歩を学ぼう

2007-01-27 10:30:24 | Weblog
1月27日(土)晴れ【退歩を学ぼう】

一週間ぶりです。週末だけのブログ管理人で恐縮です。先週は日曜日もログをupしたいと思いましたが怠けました。怠け者の言い訳ですが、毎日お勤めをしていると、週日はアッという間に終わってしまいます。その上、土曜、日曜はお寺のお手伝いをしていますので、アッという間の一週間です。

と言いつつも映画を観に行ってきました。『不都合な真実(An inconvenient truth)』です。温暖化による氷河の崩落は時々テレビでも目にしますが、映画のなかで、キリマンジャロの氷河がかなり解けているシーンに驚愕してしまいました。このままで温暖化が進むとキリマンジャロの雪は2020年に全て消えてしまう可能性があるそうです。

またヒマラヤ山脈の氷河やアメリカにグレーシャー国立公園という氷河のある、いやあった公園があるそうですが、そこの氷河も今は僅かしか残っていないそうです。

汚染作用と浄化作用が適度にバランスを保てれば、温暖化は防げることは誰しも分かっていることですが、現実は汚染は増加するばかり、それなのに浄化作用は衰えるばかりです。

汚染については言うまでもないでしょう。浄化作用については焼け畑農業や伐採によるアマゾンの原生林の消滅などは、地球にとってかなりの痛手でしょう。

地軸の変動によって天変地異が起きると言う人もいますが、そのような不確定なことよりも、地球人自身による不注意によって、天変地異が起きることは確実でしょう。いやすでにあちこちで起きています。

道元禅師の『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』に「回光返照えこうへんしょうの退歩を学がくすべし」という箇所があります。この言葉の意味するところは坐禅についての教えですが、地球人類は「退歩を学すべき」時でしょう。文明の十分に進んだ国は、進歩より退歩を、途上の国は文明国の過ちを犯さないように進歩できれば、理想的なのですが。

それは人間の欲望にはきりがないから、かなり難しいことでしょうが、先ず「かいより始めよ」と言わねばなりません。あらためて生活を見回してみれば、自分自身にしてもなかなか退歩は難しいことに気が付きます。偉そうなことは言えません。しかしお互いに身の回りを見回して、退歩できることは退歩しましょう。

それでもそれでは追いつかないことが山ほどあります。イランは人工衛星にミサイルを載せるということなども計画しているようですし、このままでは地球人類は限りなく滅亡に向かっている現状かもしれません。

そうであるとやはり「回光返照の退歩を学すべし」と、道元禅師が言われる通りの真理を学ぶことこそが、できることの大事なことかもしれません。

回光返照の退歩を学すべし:道を外に求めないで、自己の本来の姿に戻ること。坐禅すること自体が「それ」といえる。

不都合な真実:www.climatecrisis.net(英語版ホームページ)
DVDもあるようです。一人でも多くの人が温暖化の現実を認識することが、やはり大事なことでしょう。


退歩も進歩もない不変の街-ムザブ

世界遺産の番組で『沙漠の宝石 神秘のオアシス都市 アルジェリアのムザブ』の放映を観た。荒涼とした砂漠の谷に忽然と現れた街-それが千年変わらない街、ムザブであるという。

このムザブの生活の中に、まさに退歩する必要もない、進歩する必要もない、賢明な地球人類の姿を見ることができた。

質素でつましい生活ながら、隣人が助け合う平和な暮らしがそこにはある。智恵に溢れた生活である。砂漠のなかでもダムを作って水を分け合う。その水路は土と石でできている。

また代々、井戸堀りの技術を学んで、ヤツメナシ農業を営む家族もある。井戸を掘るのも手作業であり、何年もかけて井戸を掘っている。水脈に行き着いて、水が噴き出してくるときの達成感は素晴らしいと男は語る。そして7歳の息子にも井戸掘りを教え伝える。自分も親からそうして学んだように。

食事は一つの大きな同じ器から皆一緒に食べ合う。皆で食べ物を分け合うことで神の祝福を得られると、ムサブの人は語る。

千年前にゼドラタという街からムザブの先祖たちが、この地に逃げてきたとき、先祖たちは先ずモスクを築いたという。そのモスクには装飾は一切無い。ゼドラタは塩と金の交易で繁栄した。しかし富を見せつけたことで、ゼドラタは襲われ、ゼドラタを失ってしまったのだ。先祖の智恵はムザブの街を装飾禁止としたのである。

イスラムの人々の結束が堅いことは、世界に冠たるものがある。そのなかでもこのムザブの人々の繋がりは強いと言ってよいだろう。互いに助け合い、分かち合い、何よりも平和に暮らしている。家の作り方さえ、お互いに太陽の明かりを取り入れやすいように工夫されている。車も持たず、電気もなくとも、楽しく暮らしている人々の生活がそこにはある。

退歩とも進歩とも言う必要のない生活が、この地球上の一角に紛れも無くあるのをたまたまテレビで観ることができた。放映されたような良いことばかりではないかもしれないが、退歩のログを書いた後なので、補足として書き足しました。