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風月庵だより

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自殺しないでー岡本太郎の言葉

2007-01-13 23:21:30 | Weblog
1月13日(土)晴れ【自殺しないで-岡本太郎の言葉】

芸術はいつでもゆきづまっている。
ゆきづまっているからこそ、ひらける。


これは岡本太郎氏の『壁を破る言葉』(イースト・プレス、2005年4月発行)の中にある言葉だ。この本ははじめの一頁から読み進めなくてもよい。どこでもぱっと開いたところをときどき読む。次のような言葉もある。

絶望のなかに生きることこそが、おもしろい。
そう思って生きる以外にない、それがほんとうの生きがいなんだ。


今朝、ラジオを聞いていたら、荻窪駅で人身事故のため電車が遅れていると言っていた。人身事故、また自殺であろうか。車の運転をしながら思わず合掌をしてしまう。惜しかった、生きられなかったのかしら。いったいどんな人が、どんな理由で、飛び込んだのであろうか。自殺しなくても、何とかならなかったのだろうか。

ラジオでは、永六輔さんが今日は呼吸についていろいろと教えてくれていた。お相撲でもボクシングでも息を吸うときに隙ができるようで、そこを狙って打ち込んだり、技をかけられるのだという。野球でもピッチャーの呼吸のことや、イチローがサムライ打法のような仕草をするのも呼吸を整える意味があるようだ。なにより興味深いことは、知ってはいることではあるが、人間はオギャーと吐く息で生まれて、ウッと息を引き取って死んでいく、ということである。

私は考えた。電車に飛び込むとき、息はどうなのだろうか。死ぬときなので吸っているのだろうか。家に帰って自分で実験をしてみた。吸う息では飛び込めない。吐く息でなければ飛び込めなかった。何故そんなことを験したかったかというと、吐く息が残っているうちは生きていけるのだ、ということを験したかったのだ。息を引き取るときは吐く力がもはや肉体に残っていない時なのだから。

十分に吐く息があって、電車に飛び込めるほどの気迫があったら、吐く気があったら、まだ本当は生きていけるのだ。飛び込む瞬間に「しまった」と思う人もいるのではなかろうか。自殺したのでは死にきれないのではなかろうか。死んだら死にきる、生まれたら生ききる。これだけではあるが、死にきれない状態はさらなる苦しみなのではなかろうか。死んだら楽になると思って自殺するのだろうが、楽にはならないだろう。

それよりもなんとか生きて、あがいて、もがいて、ゆきづまって、絶望しても、生き続けてほしい。ゆきづまっているからこそ、開けるのだし、絶望のなかに生きることこそ面白い、そんな見方もあるということを、岡本太郎さんの言葉の中に見つけたので、紹介してみました。証明することはできないけれど、自殺しても楽にはならないだろうと、坊さんの勘でそう思うからです。

まして多くの人に迷惑をかけるような死に方はさらに感心した選択ではないでしょう。飛び込まれるときの運転手さんは本当にお気の毒です。
最後にもう一つ岡本太郎さんの言葉を紹介させて下さい。

自分の限界なんてわからないよ。
どんなに小さくても、未熟でも、
全宇宙をしょって生きているんだ。


中山書房社長さん逝く

2007-01-13 19:12:22 | Weblog
1月13日(土)晴れ【中山書房社長さん逝く】

中山書房仏書林の社長さん、中山晴夫氏(本名春治)は「おやじさん」と親しく呼びたいような方でした。おやじさんには大学院時代も、また本師の追悼集を出版するときもお世話になりました。何時お店にお伺いしても、にこにこと接してくださり、いろいろと仏教関係の書についてお教えいただいたりしました。

護国寺の祭壇には、本当に優しい笑みを浮かべた在りし日のお写真が、沢山の花に囲まれて飾られていました。昨日はお通夜、本日は告別式が護国寺の桂昌殿でとり行われたのです。仏教関係の書を多く出版されていたことにもよるでしょうが、昨日も今日もお坊さんの姿が多く見られました。浄土真宗や曹洞宗や各宗派の僧侶の方々がお別れに見えていて、中山さんの生前のお働きを観るような思いがしました。

昨年の暮れに、おやじさんにお会いしたいと思い、これから行きます、とお電話を入れたら、入院なさっているとお聞きしたのですが、それから間もなくの二十六日にお亡くなりになられたそうです。駒澤の卒業生の中にも、論文を書くときに中山さんのお世話になった方も多いのではないでしょうか。他の大学でも同じかもしれません。

湯島のお店にお訪ねしても、もうおやじさんの笑顔には会えないのですね。二十五年前、尼僧堂でお会いしたのがはじめてでしたが、それから太田久紀先生の送別会でお会いしたり、いつもにこにことエネルギー一杯のおやじさんでした。十六歳の歳から東大赤門前の山喜房佛書林でお勤めを始められ、三十五歳で独立なさったそうです。十六歳からじつに七十三年間、仏教書と関わり良書の出版に尽力なされてきたご一生です。

だれにでも分かる言葉で仏教を広めたい、というのが中山さんの願いでした。手を合わせる家庭こそが基本であるとの願いから『仏教の生活』を出版し続けられた五十年余、中山さんのような方がいてくださってこそ、仏教が地道に伝えられていくのだと思います。このお仕事はお二人の娘さんが継がれていかれるそうです。

祭壇のにこやかなお写真を見上げると、「よろしくね」と皆さんに中山さんが語りかけていらっしゃるような感じがしました。告別式では愛知専門尼僧堂の青山俊董先生の追悼の和歌がご披露されました。皆さんから惜しまれて人生を閉じられた中山書房仏書林社長、中山晴夫氏でした。本当にお世話になりました。寂しいです。