mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

続々「集団的自衛権」 千年後への「遺言教育」を、どうするのか

2014-07-03 10:21:19 | 日記

★ どのくらい遠くを見て、「絶望」しているのか


 昨日取り上げた『新潮45』の若手の対談《すべては「崩壊」から始まった――日本人の「美と国民性」の源流》の中で、もうひとつ面白い指摘がありました。東京(関東)と京都(関西)の、社会の変化をとらえるスパンの違いについてです。

 

 単純化しているのですが、東京(関東)は、近代化をヨーロッパから受け入れたことを軸にして、欧米との対比で日本の特性を推し量る。そのため、視野に納めているのがせいぜい幕末や明治になって以来のこと。それに対して京都(関西)は平安のころから(町のたたずまいも)ずうっと暮らしの視野に収まっているから、日本の特性というとき、千年単位でみているということです。

 

 前回触れたひさとみさんの「まっすぐに前を向いている」姿勢も、そういう長い視野から発せられているとみた方がいいかもしれません。むろん私の、「ごく普通の庶民のなげやり」感覚も、千年単位で見たら、「国家権力」と[私たちの暮らし」をもう少し前向きにとらえられるかもしれないと、ちょっと反省するきもちになりました。

 

 千年単位というと楽天的すぎると思われるかもしれません。でも考えてみると、ヨーロッパの人たちでさえ、自分たちの文化の源流をギリシャに求めてやっと正統性を確信しているようですから、私たちが古事記や万葉集から説き起こすのなどは、半端なくらいかわいいものですね。


★ 「国民性」も千年単位で変わるかもという希望を


 ひさとみさんの「NO!と言えない国民性を持っている私たち」という指摘も、そういう長い目をもって考えてみると、案外厳しい、私への批判ではないかと受け止めました。

 

 初回の「こんな~」で記したドイツ軍に規定する「抗命権・抗命の義務」は、「一人一人の軍人に抗命権を与え、抗命の義務を負わせる」ことで、軍のシステム全体の自己批評性を担保しようとしたものです。それを私は、「これこそが民主主義の主権者のありよう」と褒めちぎったわけです。しかし、ひさとみさんのいう通りの「NO!と言えない国民性を持っている私たち」の現実をみると、(個人が確立している)ドイツのようにはいかないと思わざるを得ません。

 

 教師であった頃私は、これを「生活者の自律」を目指すとして、「下士官」としての仕事にしてきました。私のモチーフは、丸山真男風の「であることとすること」の伝統的な桎梏を取り払って「すること」へ踏み出せと、啓蒙する響きをもっていたのです。学校の教師というのは、そもそも啓蒙的でないと務まらない部分がありますから、それはそれでまっとうだったのですが。

 

 いまはむしろ、ひさとみさんの言うように単純に見切って、西洋近代の「民主政体」というのが、日本ではどう形を変えて実現しているのかとみたうえで、ヨーロッパ流かアメリカ流か中国流か日本流か、それらを比べてどちらがより私たちの暮らしに役に立つかと、プラグマティックに判断するのが、さしあたりいいのかもしれませんね。

 

 それは同時に、長い期間を視野に容れておいて、「国民性」の変容をに希望を持つことになります。すぐに効果が出る、成果が上がるという性急さは、考えてみれば、近代人の悪い癖ですね。


★ 戦争を止めるのは「反戦教育」か


 「「戦争をしない国」を維持するためには何をすべきか、教育でしょう。」とひさとみさんは、期待を込めています。

 

 最初に取り上げた朝日新聞の編集委員氏は、もし(いま日本に)徴兵制があったら(集団的自衛権のことを)国民が我がこととして考えると期待していました。

 

 《決めようとしている政治家が、自ら戦うことはないだろう。私たち一人ひとりも「自分なら人を殺せるか」を問い、悩んでいるか》と。

 

 でも、ほんとにそうかなあと私は、これにも疑問符をつけて受け取っていました。もう69年も日本は戦争をしていません。それを平和というのなら、平和を日常として二世代が過ぎています。三世代目にとっては、「非日常が面白い」と期待する向きがあっても、不思議ではありません。

 

 じっさい、韓国や中国に対するヘイトスピーチが横行するのは、その「うさばらし」が自分の(精神的)存立の支えになっているからだと私は受け止めています。無力な市民が社会の抑圧と差別に泣き、もっていきどころのない不安と憤りを抱えているとき、八つ当たりして憂さを晴らすことはごく普通のことです。「殺すのは誰でもよかった」という殺人者のセリフは、それをあらわしています。

 

 中国の「反日暴動」は、その共感範囲が「中国共産党の正統性を証だてる教育」のおかげで広くなり、大手を振って引き起こされていると言っていいと思います。韓国人に対するヘイトスピーチは、ひょっとすると、私たちの日常から「同質的な共同性」がすっかり消えてしまっていることへの告発かもしれません。近代市民社会というのは「同質的な共同性」を壊して成立してきましたから、その告発は、案外心の深いところから発せられた叫び声なのかもしれないと思います。「同質」というのも「共同性」というのも、単にそのときの傾きに過ぎないのですが、自分が孤立しているという実感は根底にあるようですね。

 

 こういう憤懣が社会の広い範囲にたまると、ほんのちょっとした引き金で暴発することは、あちらこちらの紛争をみているとわかります。しばしがばそれらが政治勢力に誘導されて暴力的に「非常時」を醸し出し、人々の心理的窮迫感を高め、防衛意識を刺激することも、よく目にします。

 

 上記のことは、戦争を止めるのが、必ずしも「反戦教育」ではないことを示しています。いかに「戦争が悲惨」であっても、わが身にふりかからねば実感できないという感性を、私たちは遺伝子のように持っています。つまり、日本の敗戦後69年の「平和」は、経済的発展が、そこそこ社会的公平性を失わずに順調に進み、抑圧も差別も、取り組みさえすればそれなりに解決できるという前向きの姿勢をとることができたからです。もちろん、さほど大きくない格差、家族経営的な企業経営センス、年功序列的な賃金体系といった、伝統的社会規範がうまく作用していたことも、誰にというわけではないが、感謝しなければならないと、いまにして思います。

 

 命の大切さを説けば殺人が減るか。いじめはいけないと教育すればいじめがなくなるか。こういう短絡的な規律訓練型の注入では、その場の取り仕切り役の規範を示すことにはなるが、根底に触れた解消には向かわないと、私は考えています。そういう意味で、道徳教育は人間存在の根底に触れなければ、心裡に響かないと言えます。「教育」よりはじっさいの「暮らし」です。

 

 しかし社会規範は、それこそ千年の長きを視野に入れて鍛えていくものだとしたら、藤原道長のころからを視野に入れなければならない。気の長い話になります。いまちょっと「日本史年表」を覗いてみたら、1012年のところに「加賀の国の百姓らの国守非法の訴えを退ける」とありました。また「尾張の民が国守の善政を進上」の記事もあります。結構、民百姓の発言行動も出来していたと見えます。さて、千年後に、そのように見てもらうためには、やはり何かを後世に向けて書き残さねばならないと思うのだが、もうそんな「遺言教育」をする年代になったのかと、思わないでもありません。


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