mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

続「集団的自衛権」――丸山真男から吉本隆明へジャ~ンプ

2014-07-02 20:33:20 | 日記

 昨日の投稿「こんな~日本に~誰が~した~、だね。」に対して、「H」さんから以下のようなコメントが寄せられた。

 

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  fjtmukanさんの「「集団的自衛権」提起の背景」を、興味深く読ませて頂きました。

 

 安倍さんと高村、石場、麻生さん達だけで出来るはずがない、裏に何かある、なんだろうと思っていた矢先のfjtmukanさんのブログ。とても参考になりました。

 

 自分の命は自分で守らねばならないことは自明の理。自衛権は当然の権利ですが、それが集団的自衛権となるとどうなるのかな。NO!と言えない国民性を持っている私たちが「戦争をしない国」を維持するためには何をすべきか、教育でしょう。戦争の悲惨さを教え、いったん世の中の空気が「戦争も仕方ない」となったらもう防ぎようがない事を、歴史から学ばせ、争いを、知恵と忍耐と作戦で防ぐべく教育をすべしというのが私の考えです。甘いなぁ、具体的には? の声が聞こえてきそう(笑)。でもこうして、すんなりと「集団的自衛権行使容認決議」が閣議決定される現実に涙が出るほどの絶望感を感じます。

 

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★ どうして斜に構えているのか。

 

 Hさんは「涙が出るほどの絶望感を感じます」という。私の「こんな~日本に~誰が~した~、だね。」とはだいぶニュアンスが違いますね。

 

 Hさんは、まっすぐ前を向いている。私は少し斜に構え、なげやり。子どものころ街に流れていた「星の流れに」の歌詞そのままに、ちょっと鼻にかかった鼻濁音を力なく出しながら、どうせ私にはどうする力もないのよと諦めきったところから世の中をみているって感じです(この歌、調べてみたら昭和22年に流行したそうだ。私は5歳。四国の高松で玉野市に転校する8歳まで、進駐軍の四国本部が置かれた近くで遊び育った)。

 

 どうして私は、まっすぐ前を向いていないのか。

 

 自分がごく普通の庶民だと思い至ったからです。それまでは「主権は国民にあり」と真っ正直に思っていました。「憲法に記された理念」を生きているのだと、心底思っていました。それがそうではないという「現実」にぶつかるごとに、「理念」の実現を阻んでいる「現実」の障害がまちがっている、というふうに。戦後民主教育の成果なのでしょうね。

 

 丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)が出版されたのはちょうど大学1年のとき、《「である」ことと「する」こと》などに共感しつつ、読んだことを思い出します。

 

 長く私は、「理念としての憲法の精神は現実過程で骨抜きにされてきた」と思ってきました。[理念]の方に政治の本質があると勘違いしていると気づいたのは、大学へ入って間もなくでした。

 

 高校2年の世界史の授業でマキャベリの「君主論」を教わった時の定期試験に「マキャベリの歴史的意義について述べよ」という設問が出されました。権謀術数を弄したなど適当なことを書いておいたら、温厚な教師のニノミヤ先生が顔を赤らめて「お前たちは授業中に何を聴いているのか。政治史におけるマキャベリの意義というのは……」と激怒していたことを思い出します。

 

 つまり[理念]よりも「現実過程」をしっかり見つめよ、「本質というのは現実過程にある」と。言葉を換えていうと、権謀術数という(道徳的に許されないような)イヤなことも[政治目的]を達成するために正当化されるのならば、権謀術数が政治の本質だと考えよ。イヤなこと、自分の感性にそぐわないことから目を背けるなと、のちに考えるようになりました。ニノミヤ先生がどのような政治的経験をたどって東大卒業後に私の高校の教師になったかは知りませんが、彼は政治の酷薄さを教えたかったのかもしれません。

 

 のちにそれは、大学で埴谷雄高の『幻視のなかの政治』(未来社、1963年)を読んだ時の強烈な印象に代わってきました。彼は「政治の意志」をこう単純に表現していました。「やつは敵だ、敵を殺せ」と。

 

 自分の経験と思索の深さによっていかようにも読み取れる埴谷雄高の箴言は、しかし簡単に、私自身が政治にかかわれる資質をもっていないことに気づかせてくれました。私は人を殺すことができない。人を憎むこともできない。人と戦うことを忌避して逃げ腰になっている自分は想像できるが、相手を殺してでも生きのびようとする執念をもっていない。つまり私は、[政治的人間]にはなれないと、大学の中で政治党派が争い合うのを目の当たりにしながら、思ったものでした。

 

 でもまあ、そう考えていた当時は、「平時」でした。70年ころになると本当に党派同士が殺し合いをするようになりましたが、その時点で「政治的な主権者」であることから降りるような、視線を身につけてしまったのだと、いまさらながら振り返って思います。

 

 埴谷雄高は上記の本の中で、軍隊組織のピラミッド(兵、下士官、将校、将軍、最高司令官)を描いて「下士官を境にしてその下を大きく塗り潰して生活と名づけその上方を単色に塗って権力と名づけることができる」と書いています。私の従事した教師という仕事は、世の中全体からみれば、下士官の位置にあります。つまり境界に位置して、近代というピラミッドにおける人々の教育に従事しているわけです。教育とは、ピラミッドを上に行くか下にとどまるかを振り分ける役割も持っていました。ですから、埴谷のように下士官から上と下というふうに単純に分けられない立場にいたので、「権力」のとらえ方はもう少し入り混じったものになりましたが、事実は近代社会の「生活」をどう送るかを「兵」たちに教えていたと言えます。

 

 簡略に言えば、自分が選挙の時に一票を投じるだけの凡人生活者と見極めるところに立ち至ったのです。となると、[政治]に積極的にかかわるポイントは国家や地方自治体の行政組織にあるのではなく、仕事と日々の暮らしと地域とのかかわりの中にしかない、とはっきりします。民主主義的な生き方というのも、自分の仕事現場で問われる問いになるわけです。自ずから、私の振る舞いは、アナルコ・サンジカリストふうになってきていました。日本語にすれば「徹底した現場主義」ですね。国家レベルの政治のことは、自分の輪郭を描く契機として違和感を覚えるごとに取り上げているにすぎません。

 

 「サボロー会」と36年卒の私たちの同窓会関東在住者の会の命名をしたMくんは(むかしの話を持ち出しては申し訳ありませんが)、小学5年の作文で「政治家になりたい」と書いた人です。担任教師が絶賛し、そんなことを考えたこともなかった私は、どういう回路がそんなことを言わしめるのかと、畏敬の念をもって不思議に思ったものです。そして彼もまた、(日本の政治のことを)諦めてしまったのだと、いまは受け止めています。

 

 そんなことを考えていたら、『新潮45』という雑誌の7月号に、《すべては「崩壊」から始まった――日本人の「美と国民性」の源流》と題する「福嶋亮大×與那覇潤」の対談があるのを目にしました。二人とも、私たちより40歳ほど若い、中国研究の論客です。

 

 その中で、日本文化の論じ方に、丸山真男流と吉本隆明流がある、丸山は啓蒙的、吉本は大衆の幻像に身を置いて論じてきた、という分節化です。そうか、そう分節化してみると、私は丸山から吉本へ遷移したのだと自己解析ができます。吉本自体は、表現者としてそれなりのお役を務めてきましたから、同列におくわけではありません。しかし「政治」との向き合い方においては、自己の輪郭を描き続けてきたのだと受け止めています。それが冒頭に記した「自分がごく普通の庶民だと思い至った」ということの真意でした。(つづく)


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