mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

選ばれなかった心地よさ

2024-09-12 09:42:08 | 日記
 大菩薩峠へ行ってきた。車だと我が家から140km、2時間ほどと表示が出た。これなら奥日光へ行くのと同じくらい。朝6時に家を出て、登山口へ向かう。登山口にはロッヂ長兵衛という山荘がある。そこを目ざせばいいと思ったが、私の車のnaviにはそれが入っていない。仕方なくその住所を調べ、甲州市塩山***という住所を目的地にした。ところが、細い道をクネクネと上った末にシカ除けの柵を開けて入らねばならない。えっ? と思った。後からやってきた軽トラのオジサンが、
「ここは、この先行き止まりだよ(わたしゃあ沢釣りをしようと思ってね)、どこへ?」
 という。
「大菩薩の登山口」
「そりゃあ、この尾根のもひとつ向こう。ゴルフ場の入口へ入るところまで引き返して右へ行くと・・・」
 と教えてくれた。そうだよね、昔来たときにはこんな道じゃなかったと、思い出す。
 結局、約3時間のちに登山口を歩き始めた。目算とは1時間違う。たくさんの人が登る準備をしている。皆さん若い。麓は猛暑日になるというが、標高1600mのここは、暑さを感じない。
 私はたくさんの人が向かうルートは選ばず、南側を大回りして石丸峠にのぼり、そこから大菩薩峠に行く。その先の大菩薩嶺に行ってから、もひとつ別の尾根を下るルートを、今日はとる。行程は4時間10分。峠から大菩薩嶺までのルートはこれまで二度ほど歩いたことはあるが、そのうちの1時間ほど以外は、初めてのコース。
 大菩薩峠へ行くまでは静かであった。大菩薩山稜から流れ下る水が上日川ダムを南に造る。その沢筋まで標高100mほどを降り、土日にだけバスが通っている(と思われる)「石丸峠入口」のバス停を横切り、土砂崩れで通れなくなったために新しく拓かれた登山道からの急登を登る。「熊注意」の看板が設えられていて「単独行は危ない」と、yamapには地点注意が表示される。針葉樹林を抜けると道はなだらかになり、なるほど熊の好きそうな笹原が広がっている。熊鈴がないので、ときどき声を上げながら歩を進める。後ろを振り返ると、上日川ダムの湖がたっぷりの水を湛えて緑の山間に目を瞠る空間をつくりだしている。
 人と出逢ったのは、ひと組のアラカンのペアだけ。石丸峠にちかい、道が崩落して上部へ回り込まなければならないところで、向こうからやってきた。
「早いですね」
「いや、早く出発しましたから」
 と挨拶してすれ違った。歩き始めて1時間半経っている。
 日射しは強い。笹原の急登。熊沢山1978mは、巻道からわざわざ上がってみなければ通り過ぎてしまうところにあった。針葉樹に、古びて読みづらくなった文字が山名と標高を記す小さな板を取り付けている。そこからまたどんどん下り上りして、大菩薩峠に出た。ああ、これが介山荘だと昔の作家の名前を思い出す。茶屋の向こうには何人もの人が岩に腰掛けてお喋りをしている。
 前方の大菩薩嶺が雲の中にある。天気が崩れるのかなあ。見晴らしは悪くなった。親知らずの頭と名付けられた西向きの展望台に上がると、先程私を追い越していった3人の男たちが、それぞれに座っている。そのうちの、一番年配の一人に、このあと降りようと考えている唐松尾根のルートの様子を尋ねた。その説明が見事であった。
 そこが三段の急坂であること、上の方は赤土で、雨に濡れると滑りやすいこと、午後1時頃から雨になる予報だが・・・とまことに要領がいい。この地を熟知している様子だ。急坂の説明も、私がどこから登ってきたかを尋ねて、石丸峠ほどの急斜面ではないと、これまた人に伝える肝心要を承知している。
 私はそのとき初めて、午後雨になるんだと知った。でもまあ、この調子でいけば、1時には下山するだろうとも。
 賽の河原を経て、何人もの人がお昼を摂っている神部岩も通り過ぎて、雷岩に向かう。途中で後ろから来た若い女性の二人組に道を譲る。軽く言葉を交わす。彼女たちの歩く様子は、まことに気持ちがいいほどテンポが見事。山馴れている。というよりも、若いってこうなんだなと腑に落ちるおもいがしていた。
 雷岩には、誰もいない。見下ろすところに、唐松尾根への下り口がみえる。私は座ってお昼にする。11時30分。コースタイムより30分ほど早いか。一人、尾根を上がってきた。とみているとさらに一人、二人と到着し、さらに北の方の大菩薩嶺へと姿を消す。ようやくついたという声に目を移すと、高齢の夫婦が安堵の溜息をついている。
 20分ほど食事休憩して、ひとまず山嶺のピークへ向かう。先程唐松尾根を上がってきた人たちが次々と戻ってくる。彼らはこれから、大菩薩峠の方へ行くのだろう。と、先刻道を譲った若い女性二人と出逢った。
「シカがいる」
 と、脇へ寄った二人が私に声をかける。ほんの2メートルほどのところに、身体にまだ白い斑の残るシカがこちらを向いている。ニホンカモシカは近視だと聞いたことがあるが、シカも近視だったのだろうか。彼女たちはスマホをかかげている。私はカメラを取り出してシャッターを押す。
「山頂でお昼を食べてたの?」と聞く。「いえ食事は下山してからです」と応える。と言うことは、彼女たちは山頂でたっぷり時間をとっていたんだ。なるほど若くても、こういう山歩きの時間を持つ人たちがいるんだ。いい登り方をしているなあと感心する。
 山頂には3人いただけ。針葉樹に囲まれ少し広い。見晴らしはまったくない。そそくさと到着時刻を記録するシャッターを押しただけで、下山する。
 雷岩に戻ってきたとき、唐松尾根を降り始めている先程の若い二人連れをみかけた。登ってくる人たちが、まだいる。結構このルートも使われているんだ。
 なるほど急斜面だ。だがストックを使っているから、四輪駆動。身体のバランスは悪くなっているが、ストックのお陰で調子よく下ることができる。下りは技術と昔からいうが、ストックの使い方も技術に入るかなあと思ったりする。
 雨がぽつりと落ちてきた。まだいいかなと、雨具を出すのを見計らう。そのうち足をおく岩に落ちた雨粒がふたつになり、みっつになる。ま、被るだけでもいいかと、ポンチョを出す。リュックごと被せ、腕は通さず、ひとつ前のホックをあわせる。頭はお四国さんの菅笠にしているから、広い範囲が蔽われる。急斜面が終わり、平坦な広い稜線を歩く。雨はこのときから福ちゃん荘に着く辺りまでつづいたが、なくても濡れるようではなかった。登ってくる人たちが、相変わらずいる。12時を過ぎているのに、この人たちは3時か4時頃下山かね。
 また斜面を下る。先程のように急ではない。先の方に件の二人連れが見える。彼女たちの足取りは軽快そのもの。もし追いついたとしたら、こちらは四輪駆動の技術のお陰かとおかしくおもう。
 三段目の急斜面がどこを指しているのかわからなかったが、40分で福ちゃん荘の茶屋に出た。茶店をみている彼女たちと目礼を交わす。そこから20分、やはり彼女たちのあとを離れて歩く。後ろから来た足取りの達者な方に道を譲る。しばらくそのままで歩いて、達者が彼女たちに追いつく。彼女たちは道を譲り、序でに私の方をみて、先へ行くかと訊ねる気配。私は首を振って、いいから先に行ってくれと伝える。
 こうして、やはりコースタイムの20分で、ロッヂ長兵衛山荘に着いた。下山口で一緒になったから、彼女たちに尋ねた。
「何かスポーツやってたの?」
「ああ、大学のときに二人とも山岳部だった」
「そうか、ずいぶん軽快に歩いていたから、山馴れていると思った」
「ときどきこうして歩くけど、山小屋が取れなくて大きな山にはいけません」
「ははは、そうだね。この夏私も北アルプスへ行ったけど、3日前になって小屋が取れて大幅にコース変更をしたよ」
「どこを?」
「ああ、水晶岳。大学生がたくさんテント泊してましたね。ワンゲルって言ってましたけど。あなた方も気をつけてね」
「はい、これからも歩きます」
 と気持ちの良い遣り取りをして別れた。
 帰りも2時間半ほどかかった。やはり一人で運転して山を歩くのは、この程度が限度かも知れない。これ以上となると、一泊し、のんびり歩き、泊まって温泉にでも浸かり、運転にも余裕を持たせる必要がある。
 帰宅したのは午後3時半過ぎ。シャワーを浴び、ビールの小さい缶をひとつ空けただけで、飲みたいという気持ちがなくなり、お茶を摂ってソファーに横になった。カミサンがみる録画をながめていたがいつしか寝入り、気が付いて大相撲を観戦し、夕食を取ったけれどもパソコンを開く元気もない。といって草臥れているわけでもなく、ただただボーッとしているのが好ましい。夕食後はストラデバリュウスを巡るドキュメンタリーを観て、そうか、こういう世界でこのような響きを味わっている人たちもいるんだと、考えるともなくおもっている。選ばれた人々だね。
 それに比して私は、歩く寝る食う飲む排泄するのアニマ。選ばれなかった心地よさにわが身を浸しているのでした。