mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

死も身近に

2024-01-23 06:20:43 | 日記
 1週間前に合宿があった。帰ってきてから5日目に、その参加者の八十路の一人から電話があった。コロナになったという。義理堅く知らせてきたわけだ。
 子細を聞くと、熱は36℃、平熱が低いから微熱は出ているというが、ほとんど熱らしい熱ではない。ちょっと喉がいがらっぽくて、かかりつけ医に電話したら、それコロナかも知れないと別の発熱外来を紹介され、そちらで検査したら、コロナだったというわけ。潜伏期間を5日とみると、ちょうど合宿で感染したらしい。でも、誰からどう感染したかはわからない。合宿メンバーから感染したか別の人からかもわからない。ま、そんなことはもう、どうでもいいことのように扱っている。
 知らせがあって今日で3日目。もし私が感染していたとするともう発症してもいい頃。だが、その徴候はない。気管支が弱いから、喉に来るとすると私は一番にやられてもいいはずだが、スルーしてしまったのだろうか。ラッキーというべきか、ワクチンが効いたというべきか。
 でも、コロナが身近になった。遠方に棲む息子家族がコロナに罹ったといったのは、昨秋であったか。一緒に食事をした古い友人が12月初めにコロナに罹ったと聞いたのは、年末であった。彼は結構発熱して大変であったらしい。いよいよ迫ってきたなと思っていた。合宿で同宿の友人も罹ったというのは、ごく普通のインフルエンザに罹ったような感じで受け止めていた。もう、そんなもんなんだ。
 我がカミサンは「濃厚接触者だね」と私のことをいう。何だか、懐かしい呼び方に感じた。その通りだ。たとえ感染していても、私自身はワクチンなどの抗体があって発症しなかったのかもあるまい、か。
 今日はこれから、年に一度の心臓のチェックをする24時間ホルターを装着してもらいに出かける。去年の今頃「不安の煙、死の予感」という日誌を書いている。認知症になった夢も見ていて「予知夢?」と驚いてもいる。八十路に入ると先の見えない人生が眼前に広がる感じ。でも何だ、こんな感じで彼岸に渡れるなら、死というのは、なんとも手軽なデキゴトになったものだ。ホントにそうかどうかわからないのに、そう思っている。まさしく死が身近になった。
 えっ? 悦ぶべきかって? いやいや、イイこととかワルイこととかわかりませんよ。そう、まさに中動態。何でもかでも、善し悪しにふるい分けないで、少しは「自然(じねん)」のことと受け止めてもらいたいよね。

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