mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

私の祭壇を飾るにふさわしい一枚

2014-11-13 09:21:56 | 日記

 毎年恒例となっている、友人Tくんの油絵展を覗いた。彼の作品は11点。だいたい毎月1枚のペースで描いていると以前話していたが、いい調子を今も続けていると読める。でも、それだけでは画廊のスペースとショバ代がもてないので、他に油絵と焼き物の友人を語らって「3人展」としている。

 

 田舎の高校時代の私の同期でもあるTの友人たち十数人が顔をそろえ、会場は汗が出るほどの熱気。岡山や福山から駆けつけた二人もいて、久々の挨拶を交わしている。かつての同窓ということもあって、辛らつな批評を投げかける達者もいる。「そのように受け取っているってことだよ」と応ずるTくんの余裕が好ましい。

 

 画面の隅に簡略に描きあげた月のサインがある。「さようなら吉野梅郷」と題する一枚は、「Aug.」とあるから、3月に発起して8月に描きあげたのであろう。春先に山を歩くとよく私も訪れていた青梅市の先の梅の名所。吉野梅郷の梅がウィルスにやられて全部伐り払ったと聞いたのは、今年の3月であった。その最後の梅を描いている。画面の下5分の3に花をつけた梅林がおかれ、右上5分の2に、早春の、葉のまだついていない疎林を描いた一枚は、「さようなら」の言葉以上に哀切な響きをもたらす。それがいっそう、梅の花の楚々たる香りを漂わせているように感じられる。うまいなあ、と思う。

 

 近頃歩くのにも不自由しているTくんが、パラオにも足を運んで描いている。「密林の滝」と「間欠泉」を描いたものは、滔々と流れる水や噴き上げる湯の流れの一瞬をとどめようと試みている。去年の作品は距離感を取り出しながら空気を描きとどめようとしていると感じた。だが今年は、とらえどころのむつかしい水の質感を掬い上げて、澄明なそれの向こうの、滝の裏を垣間見せようとする腕を揮う。この(技法的にも)挑戦的な試みは、Tくんの精神がまだふつふつと志向するところのあることを表している。それは何だろうと胸中に反芻しながら見て回った。

 

 1枚、う~んと気に入ったのが目に留まった。11枚のうち3枚は、富士山を描いている。横浜からみた日没後の富士山は街の夜景の向こうにでんと控える大自然の威容を象徴している。富士市の方からみたのであろうか、夕焼けに赤く染まる富士山の屹立する半身をほぼ真ん中においている1枚。もう一枚は、丹沢の桧洞丸の山頂からみると見えるような、雲海に浮かぶ富士山を右3分の2の位置におき、左に愛鷹山をつき従えさせていると思しきシルエットに近い1枚。この最後の1枚がいたく私の心を打った。山から見た風景というばかりではない。山肌の凹凸をしっかり描きこみながら、しかし黒くその姿を浮かび上がらせている落ち着きは、古稀を超えた私たち自身の姿ではないか。

 

 今朝になって私は、Tくんのメールを送った。その1枚を譲ってほしい、と。そうしてこう付け加えた。

 

 「富士山を描いた3点のうちの、画面の右の方に雲海に浮かぶ富士山をおく遠景の1枚が、じつはすっかり気に入っています。あれを、もしほかにご希望の方がいなければ、譲っていただけないでしょうか。これも実はですが、私は墓標を「富士山」にすると決めています。もし私が死んだら、富士山に散骨してくれと息子にはと頼んでいます。そうすれば、いちいち墓参りで足を運ぶことなく、新幹線からでも墓参ができる、と。その気分に、あの絵がぴったりとはまっています。遺骨よりも、ずうっと死後の私の祭壇を飾るのにふさわしいと思った次第です。」

 

 果たして私の願いがかなうかどうかわからない。だが、そんなふうに(私自身の内面において)親密に感じられる友人の作品に出遭えたことは、幸せなことだと思う。

 

 ちなみに、「Tくんの精神がまだふつふつと志向するところ」を私は、自然と一体になることと受け止めた。「それは我田引水だよ」と笑われそうであるが、彼の絵の素材と描き方の映し出す心境は、一体になることのできない不可能性を承知の上にその可能性を求めてやまない魂の渇望にみえる。それこそ山に登る私の心もちでもあるではないかと、振り返って考えている。


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