第3日目。5時朝食。5時半出発。雨模様だが、昨日ほどはひどくない。雨量は0mmか。と、おもっていたら、パラパラと雨粒が落ちる。カメラもベストのポケットに入れて、濡れないようにした。
小屋を出てすぐに上り。ハイマツを掻き分けるように踏路が伸びる。足元は岩と小石。気持ちよく進む。双六岳の中腹を巻いて三俣山荘へ向かう巻道、双六岳の山頂を辿る道、その中間道と三つに分かれる。天気も良くない。中道をとる。霧の中にお花畑が浮かぶ。カメラに収め、帰ってから師匠に訊ねて教えて貰った。
ハクサンイチゲ、ショウジョウバカマ、アオノツガザクラ(?)、ミヤマダイコンソウ(?)、コバイケイソウ、ナナカマド、シナノキンバイ、シャクナゲの仲間、イワカガミ、クロユリ、イワツメクサ、タカネヤハズハハコ(?)、ムシトリスミレ、イチゴの仲間、リンドウ、ハクサンフウロ、カラマツソウ、モミジカラマツ。それと名前のわからない小さな白い花何種か、黄花、赤花もあった。(?)のついたのは、あとで確かめることにしたが、はて、どうやって? と思案している。
こうして五里霧中の中を歩いて、黒部五郎小屋に着いたのは9時少し過ぎ。コースタイム3時間20分のところを、ほぼ同タイムで来ている。ペース配分のことは気になった。宿泊手続きをし、大半の荷物を小屋に於いて、デイパックに水と簡単な食料とを入れて黒部五郎岳の山頂を目指した。宿のスタッフは「カールの道を歩いてください。稜線は危険です」と念を押した。実は、雲の中を歩くようなら、往きはカールを、帰りは稜線を歩こうと考えていた。だがスタッフは(たぶん私の年齢を見たのだろう)危険を強調した。
カールコースへ出発したのは9時半頃。雨が止み、ときどきパラパラという風情。岩根を踏む登降は続く。踏路に水が流れてくる。少々の量ではない。中には音を立てて流れる。あるいは水溜まりがあちらこちらにある。まるで黒部五郎岳は水の山といった感じであった。このところ降った雨もあろう。雪解けが水となって流れ下ってくることもあろう。だが、それにしても、これほどの水量はどこから生まれているのだろう。
岩を伝うようにして歩くと、水没するほどではないから、ぴょいぴょいぴょいと飛び石を選んで足を運ぶ。標高を上げると黒い大きな岩が積み重なって転がっている。その向こうには大きな雪渓がいくつも残っている。高度を上げるに連れて、雲が濃くなり、視界は遮られる。カールの上部で、上からの登山者に出逢った。太郎平小屋からきた女性の単独行。明日引き換えすときに黒部五郎岳の山頂へ行くという。彼女が「雷鳥がいる」と指さす。一羽のメスらしいのがいるが、子どもはいない。すぐに霧に紛れた。
カールの稜線に上がった途端に、西からの強い風に吹きさらされる。雨も強くなる。間もなく太郎平からと黒部五郎岳山頂との肩。三方に向けた手書きの墨書標識には、こう記していた。
《黒部五郎岳山頂→ 小舎へは山頂往復(25分)後、カールコース経由が一般的です。稜線コースは熟達者向》
山頂から一人、男性が降りてきて、カールの方へ向かった。休む間もおかず、山頂へ向かう。上り15分、降り10分と呼んだのが正解であった。11時55分登頂。山頂は雲に蔽われ、雨粒も落ち、風が強い。ここへ来たぞという証拠のように山頂標識をカメラに収め、下山する。途中で空身の若い人とすれ違う。肩に近いところでひと組の夫婦に出会う。肩には三つのザックが置いてあった。
上り2時間40分、降り1時間40分とあった。稜線をカールへ踏み込んだところで荷を降ろし、昼食休憩にする。ちょうど雨も小止みに。石に腰掛け、オレンジジュースを飲み、カロリーメイトを口にする。そうしていると、キキキと声を立て、目の前を雷鳥が飛んでその先の登山道に降りた。眉が赤い。オスだ。そうか、さっき上ってくるときにみたメスと番いか。10メートルくらいの距離だが、霧が濃く、二羽をそれと識別することもなかなかであった。ところが、登山道に降りたまま、うずくまってしまっている。しばらくは黙ってみていたが、おいおい、そろそろゆくよと声をかけ、歩き始める。近づいてもなかなか動かなかったが、さすがに3メートルくらいになると重い腰を上げてか、傍らの斜面へと上がっていった。
小舎に到着したのは14時。往復約4時間半。やはり後半が少し遅くなっているが、まずまずのペースであった。太郎平から来た登山者は、口々に、カールの岩場が大変だったとこぼしていた。私の往復を知って驚いていたが、そうじゃないよ、私の年齢を気に留めてほしいねとおもっていた。
この日、体調のチェックをした。腰が重くなるわけでもなく、脚に疲れを感じるでもなかった。だが、太股がピクピクとしたりするのが気になり、ロート製薬が出している「芍薬甘草湯」を規定通り4粒飲んだ。この薬は、去年笠ヶ岳に行くとき手に入れ、一度使ったきりであった。もちろんその夜、足が攣ることはなかった。だが、驚いたことに夜中の頻尿に何度も起こされた。いや、これが、この薬のせいかどうかは、わからない。前日の顆粒状の同じ薬ではまったく起きなかった症状だから、別の理由があるのかもしれない。
ただ、体調は悪くないと感じていた。食欲は恢復している。翌日歩く意欲には、まったく問題を感じなかった。
ひとつわかったこと。草臥れているかどうかを、身体そのものが判別できなくなっている。背中が張っているとか、腰が重いとか、脚の脹ら脛や太股がピリピリするとか、肩が凝っているという症状を感じるだけだ。感じ取れないってことは、恢復しているのか癒やされているのかどうかもわからないということ。疲れをそれとして抱え込んでしまっているようだ。つまり、何日も続けて歩くことは、もうそれ自体が難しくなっている。
小屋を出てすぐに上り。ハイマツを掻き分けるように踏路が伸びる。足元は岩と小石。気持ちよく進む。双六岳の中腹を巻いて三俣山荘へ向かう巻道、双六岳の山頂を辿る道、その中間道と三つに分かれる。天気も良くない。中道をとる。霧の中にお花畑が浮かぶ。カメラに収め、帰ってから師匠に訊ねて教えて貰った。
ハクサンイチゲ、ショウジョウバカマ、アオノツガザクラ(?)、ミヤマダイコンソウ(?)、コバイケイソウ、ナナカマド、シナノキンバイ、シャクナゲの仲間、イワカガミ、クロユリ、イワツメクサ、タカネヤハズハハコ(?)、ムシトリスミレ、イチゴの仲間、リンドウ、ハクサンフウロ、カラマツソウ、モミジカラマツ。それと名前のわからない小さな白い花何種か、黄花、赤花もあった。(?)のついたのは、あとで確かめることにしたが、はて、どうやって? と思案している。
こうして五里霧中の中を歩いて、黒部五郎小屋に着いたのは9時少し過ぎ。コースタイム3時間20分のところを、ほぼ同タイムで来ている。ペース配分のことは気になった。宿泊手続きをし、大半の荷物を小屋に於いて、デイパックに水と簡単な食料とを入れて黒部五郎岳の山頂を目指した。宿のスタッフは「カールの道を歩いてください。稜線は危険です」と念を押した。実は、雲の中を歩くようなら、往きはカールを、帰りは稜線を歩こうと考えていた。だがスタッフは(たぶん私の年齢を見たのだろう)危険を強調した。
カールコースへ出発したのは9時半頃。雨が止み、ときどきパラパラという風情。岩根を踏む登降は続く。踏路に水が流れてくる。少々の量ではない。中には音を立てて流れる。あるいは水溜まりがあちらこちらにある。まるで黒部五郎岳は水の山といった感じであった。このところ降った雨もあろう。雪解けが水となって流れ下ってくることもあろう。だが、それにしても、これほどの水量はどこから生まれているのだろう。
岩を伝うようにして歩くと、水没するほどではないから、ぴょいぴょいぴょいと飛び石を選んで足を運ぶ。標高を上げると黒い大きな岩が積み重なって転がっている。その向こうには大きな雪渓がいくつも残っている。高度を上げるに連れて、雲が濃くなり、視界は遮られる。カールの上部で、上からの登山者に出逢った。太郎平小屋からきた女性の単独行。明日引き換えすときに黒部五郎岳の山頂へ行くという。彼女が「雷鳥がいる」と指さす。一羽のメスらしいのがいるが、子どもはいない。すぐに霧に紛れた。
カールの稜線に上がった途端に、西からの強い風に吹きさらされる。雨も強くなる。間もなく太郎平からと黒部五郎岳山頂との肩。三方に向けた手書きの墨書標識には、こう記していた。
《黒部五郎岳山頂→ 小舎へは山頂往復(25分)後、カールコース経由が一般的です。稜線コースは熟達者向》
山頂から一人、男性が降りてきて、カールの方へ向かった。休む間もおかず、山頂へ向かう。上り15分、降り10分と呼んだのが正解であった。11時55分登頂。山頂は雲に蔽われ、雨粒も落ち、風が強い。ここへ来たぞという証拠のように山頂標識をカメラに収め、下山する。途中で空身の若い人とすれ違う。肩に近いところでひと組の夫婦に出会う。肩には三つのザックが置いてあった。
上り2時間40分、降り1時間40分とあった。稜線をカールへ踏み込んだところで荷を降ろし、昼食休憩にする。ちょうど雨も小止みに。石に腰掛け、オレンジジュースを飲み、カロリーメイトを口にする。そうしていると、キキキと声を立て、目の前を雷鳥が飛んでその先の登山道に降りた。眉が赤い。オスだ。そうか、さっき上ってくるときにみたメスと番いか。10メートルくらいの距離だが、霧が濃く、二羽をそれと識別することもなかなかであった。ところが、登山道に降りたまま、うずくまってしまっている。しばらくは黙ってみていたが、おいおい、そろそろゆくよと声をかけ、歩き始める。近づいてもなかなか動かなかったが、さすがに3メートルくらいになると重い腰を上げてか、傍らの斜面へと上がっていった。
小舎に到着したのは14時。往復約4時間半。やはり後半が少し遅くなっているが、まずまずのペースであった。太郎平から来た登山者は、口々に、カールの岩場が大変だったとこぼしていた。私の往復を知って驚いていたが、そうじゃないよ、私の年齢を気に留めてほしいねとおもっていた。
この日、体調のチェックをした。腰が重くなるわけでもなく、脚に疲れを感じるでもなかった。だが、太股がピクピクとしたりするのが気になり、ロート製薬が出している「芍薬甘草湯」を規定通り4粒飲んだ。この薬は、去年笠ヶ岳に行くとき手に入れ、一度使ったきりであった。もちろんその夜、足が攣ることはなかった。だが、驚いたことに夜中の頻尿に何度も起こされた。いや、これが、この薬のせいかどうかは、わからない。前日の顆粒状の同じ薬ではまったく起きなかった症状だから、別の理由があるのかもしれない。
ただ、体調は悪くないと感じていた。食欲は恢復している。翌日歩く意欲には、まったく問題を感じなかった。
ひとつわかったこと。草臥れているかどうかを、身体そのものが判別できなくなっている。背中が張っているとか、腰が重いとか、脚の脹ら脛や太股がピリピリするとか、肩が凝っているという症状を感じるだけだ。感じ取れないってことは、恢復しているのか癒やされているのかどうかもわからないということ。疲れをそれとして抱え込んでしまっているようだ。つまり、何日も続けて歩くことは、もうそれ自体が難しくなっている。
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