mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

無事完歩

2023-07-28 10:44:35 | 日記
 リハビリ後初の高山歩き、4日間の笠ヶ岳登山を終え、無事帰還しました。子細は後程ゆっくり記します。登山口に1泊が余計でしたが、ま、八十路登山のトライアルとしては致し方ないと思っています。
 好天に恵まれました。新穂高の登山口を出て戻ってくるまでの3日間、基本的に晴天。夜激しい雷雨に見舞われたり、午後になって崩れたことはありましたが、一度も雨具を使うことなく過ごしました。下界が暑いだろうと思わせるほど、もくもくと入道雲が立ち上がり、向かいの槍ヶ岳から奥穂高岳、西穂高岳の稜線を隠していく。南に離れた焼岳やもっと向こうの乗鞍岳はまだくっきりと姿を見せているという高山の転変と谷間から湧き立って這い上ってくる雲の勢いには、大自然の生命力を感じます。
 笠新道の分岐、左俣林道との分岐、秩父沢、シシウドヶ原、鏡平小屋と、ポイント毎のコースタイムと照らし合わせても休憩も含めて概ねコースタイム、5時間半で歩いています。出発地との標高差1300m、13.3km、歩行時間は約4時間です。のんびりと花々を眺め、青空に映える双六から弓折岳の稜線を見上げ、身体の調子に問いかけながらここに身を運んでいる幸運を味わっていました。
 2日目、鏡平から見える槍~奥穂の稜線は、1900m付近の雲に見え隠れして、定かではありません。でも歩き始めて弓折峠2592mにつくまでの間に雲がとれ、朝日に照らし出された明るい上空の雲を背にした槍・奥穂高のシルエットに、何度もシャッターを押してしまいました。朝露を浴びた花もご機嫌でした。弓折岳2588mから振り返ると鷲羽岳が単独峰の偉容を誇るようにみえ、その先の大ノマ乗越では雷鳥の親鳥が岩の上に立って警戒音を出し、そこへ向けてこちらの大岩から飛び立つ雛鳥が一羽、とみると続いてもう一羽、その飛び立った方ではもう一羽が飛ぶのを躊躇うようにもぞもぞとして、でもついに母鳥の方に飛び立つのがみられました。
 秩父平付近で振り返ると、槍ヶ岳だけを残し見せるように雲がまわりを包み込み、ああ、これはカメラマンには堪えられない瞬間だれろうなあと思いながら、カメラのシャッターを押しました。目を転じて北の方をみると薬師岳が大きな山容を見せ、その左の方に頭一つ高いのは黒部五郎岳か。こちらは上空に僅かな雲しかなく北アルプスの奥深さを感じさせています。抜戸岳分岐までコースタイム4時間10分のところ、4時間40分で来ている。
 ところが抜戸岳山頂から南側ルートを通って笠新道入口分岐に出て笠ヶ岳山荘に着くまでに1時間半ほどを要している。この間は、雲がかかり、お花もあるほどではなく、周囲の景観もない。にもかかわらず、コースタイムより30分ほど多くかかっているのは、どうしてなのか。2日目のくたびれがぼちぼち出始めていたのか。
 何人かの若い単独行者が追い越していった。ああ若いって、そうだったなあと記憶が甦る。前方の笠ヶ岳はすっかり雲に蔽われて見えない。11時半ころ笠ヶ岳山荘に到着。ここも、途中でお昼代わりのビスケットを抓んだりはしたが、20分ほどコースタイムよりかかっている。ま、この程度の抜けない疲労の積み重なりが歳相応の歩き方になるのかもしれない。疲労の自覚は、しかし、それほどない。これは身体反応が鈍くなっているからと私は考えていました。泊まりの手続きをし、部屋に荷を置いて笠ヶ岳山頂へ向かう。午後は天気が崩れると聞いた。
 15分ほどで雲に取り囲まれた山頂に着いた。2898mの標識と傍らの三角点の標石がポツンと立つ。誰もいない。周りは雲ばかり。ふと見上げると、頭上がポツンと抜けるように青くなっている。標識と標石と青空をカメラに収めようとしていると陽ざしまでさしてくる。12時23分。山荘へ戻っている途中で、ぽつりと頭に雨が落ちてきました。小屋に入ることには大きな雨粒になり、ちょうど駆け込んできた登山者が「滑り込みセーフ」と笑っていました。
 標高差はアップダウンがあってわからないが、この日歩いたのは、16.1km、5時間1分。行動時間は6時間半くらいか。
 第三日目。朝食を弁当にして貰い、3時半に起きて出立の準備。早めに仕上がったので、入口のテーブルで弁当を3割ほど口にしました。荷を置き、ウィンドブレーカーを着て山頂へ向かう。ヘッドランプも要らないくらいになっている。後ろから来た若い女性がスタスタと追い越してゆく。う~ん、こうなったかとひとしおの感慨。
 槍ヶ岳の後ろから上ってくる日の出に、上空の雲が照らされてだんだん明るくなってくる。山頂標識のある方はすでに10人ほどの人が屯している。私は神社の祠がある方で明るんでくる穂高と槍の稜線を一望している。日の出は見事であった。槍の北鎌尾根のさらに左方面から上ってきた太陽の頭がみえたのは4時39分。それがまだ丸みを残してカメラに収まったのは44分。
 それから山荘に戻り、皆さんは朝食になるが私は荷を整えて出発しました。何組かを追い越し、何人かに抜かれ、杓子平までほぼコースタイムの2時間10分。ここで朝食の残りをいただき、休憩。ちょうど笠ヶ岳を正面に見据えて抜戸岳からの稜線が一視に入る眺望の素晴らしいところです。ここまでの間にまた雷鳥の母子に合いました。こちらはヒトを畏れる様子もなく、私の後から降りてきた人の足元へと雛鳥が駆け寄り、母鳥は警戒音も出さず、そこへ寄り添って静かに離れていきました。昨日みた雷鳥よりはまだ雛が幼い感じでしたね。
 そこから愈々、笠新道の正念場歩行、コースタイム3時間になります。出たのは7時28分。一つ両線を越えて降りとなり、灌木の間をジグザグに下っていく。足元は大石が積み重なり、踏み跨ぎときに尻をついて下っていく。追い越してゆく若い人の足運びをみていると、そうだったなあ、昔はああやって先を急ぐことが出来た。だがいまは、おっかなびっくりで身体のバランスが悪くなったと感じながら、足を運んでいくしか方途がありません。イイもワルイもこんな私を認めてやらないと、とても山などを歩くわけには行きません。もし万一ここで踏み外したら、転んだら、谷の方に倒れたら、それだけで一巻の終わり。歩一歩毎に身体がそう伝えてきて、いっそう足運びは慎重にならざるを得ません。
 私の先に歩いていた若い女性を追い越したが、すぐに道を譲ることになり、その人の姿も忽ち見えなくなるほど、慎重且つゆっくり。もはやコースタイムも何も気にすることもなく、あるがままの自分をあるがままに受け止めて歩を進めていきました。ただ幸いだったのは、足元の不如意がいつも意識に上って、時間を忘れてしまうくらい緊張を要したことでした。後で思えば、今日の下山の標高差は1800m。富士山の五合目から山頂までの標高差が約1400mですから、それを遙かに凌ぐ大下り。日本最大急登のひとつと言われるほどの傾斜なのです。もっとも、下っているとき、身軽に早くも上ってくる20歳そこそこの若者に出遭いました。えっ、まさか、日帰り? って聞いたら、そうなんです、朝3時半に出ましたというのもいました。他の二人も似たり寄ったりで、そうか、私の2日分の行程を1日で済ませる。倍速の歩きと年齢なんだと、昔日の自分へ思いを致していました。
 とまれ、笠新道の分岐登山口に着いたのは10時40分。3時間12分で降りています。まずまずでしょうか。ここで、朝持って出た水をほぼ飲み尽くしていましたので、約2リットル汲んで土産にし、パッキングをしました。後は林道を歩くだけ。バスは11時55分。心配なく間に合うと思いました。そこへ、やはり上から降りてきた若者に見覚えがありました。昨日、弓折岳から笠ヶ岳に向かう途中で出合って言葉を交わした人。双六小屋へ行くといっていたんじゃなかったか。聞くと、そうです、双六小屋に泊まり、下山してきました。明日は仕事ですからと笑っている。昨日印象的だったのは、私の2日分を一の血の歩行距離にして1日の歩行距離として、じゃあ、4日分を2日でこなしているってワケだ。話ながら彼が歩くのに付き合って、私もスタスタと歩く。「早すぎませんか?」と彼は気遣うが、平地だもの、大丈夫と応じて、50分で登山口の新穂高バス停まで歩いた。道道の話もオモシロかったが、それよりなにより、草臥れて平地をボーッと歩くとますます疲れが滲み出して草臥れてしまう。それをスタスタと運ぶことが出来て、彼の若者には迷惑だったかもしれないが、私にとっては有難い、バイプレーヤーであった。
 こうして第3日は、20.4km、歩行5時間33分。行動時間は6時間30分ほど。無事に下山できたのが、今回トライヤルの成就を示していた。
 バスの時刻と乗り換えと接続の感覚が草臥れた身の動きの鈍さと見合ってほどよく、夕方6時には家に着いていました。


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