自殺率が低いコミュニティの特徴を岡は以下の5つにまとめた。
(1)いろんな人がいてもよい、いろんな人がいた方がよい
(2)人物本位主義を貫く
(3)どうせ自分なんてと考えない
(4)病、市に出せ
(5)ゆるやかにつながる
これらのエートスはどのようにして生まれてきたのであろうか。岡は海部町の地理的な立地条件を歴史的に追っている。海部町というのは徳島県、四国の南西部、紀伊半島に突き出すように伸びた蒲生田岬から室戸岬まですっきりした海岸線をつくる太平洋岸のほぼ中央部に位置する。海部川の下流に開かれた港町である。川のあるせいで、江戸時代には大坂相手に木材を商って賑やかであったらしい。ことに大坂夏の陣で大坂の街が焼き払われたときには、上流域から川を通じて材木が切り出され、流通加工の拠点になったようだ。岡の説明では、そのときに海部の町に(たぶん四国各地からだろうが)多くの人がやってきて、職人として仕事に従事し住み着いたという。つまり、習わしの固着した共同体ではなく、いろんな才覚・習俗を持った人たちが寄り集って町をなしたがゆえに、ここまで記してきたコミュニティの規範感覚を培ってきたのだろうと推測している。
5つの「自殺予防因子」とそれから派生する規範感覚を表すいろんな言葉を、岡は拾っている。
(1)について「ああ、こういう考え方、物の見方があったのか。世の中は自分と同じ考え方の人ばかりではない。いろいろな人がいるものだ」と、多様性のもたらすカルチャーショックを吸収していると。それによる弾力性と順応性を指摘する。
あるいは、同調的に話題が進行しているときにそこに異質な視点を投げ込んで、一方向に過度に進行することを切り替える「スウィッチャー」がいると分節する。つまり、他者への関心が不要というのではなく、関心は置くが監視はしないという「かんけい」の微妙な要点を掘り出す。
それは「状況可変」を念頭に置いている。社会関係にせよ人間関係にせよ、不変と前提していると「関係」は固着する。たぶんそれは、人を概念化してとらえ、我が心中にバカの壁をつくることを意味しているといいたいようだ。つまり別の言葉にすれば、「人は変わる」と海部町の人たちは思っているということである。
だから「やり直しのきく生き方」をしていると、「一度はこらえたれ」という「朋輩組」の事例などを取り出している。そのようにして紡がれた「かんけい」が「弱音を吐かせる」術にもなるとみる。「病、市に出せ」につながる。しかも、「援助希求」に対して言葉ではなく態度で反応することが、さらに「情報開示」の心理的負担を軽くしていると、個別的かかわりの大切さを見て取っている。
総じて「賢い人が多い町」という町の人の言葉にも目を留める。「人の性や業を良く知る人たち」というわけである。
岡は「自殺予防因子」を探る過程で、こうしたコミュニティの「かんけい」を拾い出したのであるが、これは同時に、家族や家庭や学校などの「かんけい」にも当てはまる在り様を示している。もちろんそれらが同質のかかわりを意味するわけではなく、コミュニティが上記のような「かんけい」を持っていれば、それに対応して変化する「かんけい」の位置取りをすることもみえてくるように思う。それが、「生き心地が良い」ことへつながっている。
だが私が、この人は信用できると思ったのは、最後の「結びにかえて」のところで、「自殺はそれほど悪いことなんでしょうか」というある母親の問いに言葉を失ったことを率直に述べている。娘を自殺によって失った母親に対して、周りの人たちがきつく責める言葉と視線がその問いを紡ぎ出したのだ。「自殺予防因子」を探るのが岡の研究テーマではあったが、このことが転機となって「生き心地が良い」コミュニティの探求へと拓いていったと考えられる。
人は、ひとつの哀しみに向き合い、それを深く受け止めることを通じて、一歩ずつ視界を広げていくのだと思った。
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