mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

もう一歩踏み込んで

2024-03-15 21:46:30 | 日記
 先日(2024-03-13)の「交換とはコミュニケーションである」のなかで取り上げた論文、伊藤将人《農村社会における移住者と地元住民の関係性の構造と共生への一考察》が、移住者と農村住民の間に生じる「お裾分け/お返し」を「互酬性による信頼関係の輪に花を入れるための装置だった」と記していることに関して、それって、今の若い人たちからすると「古いセンス」じゃないかと疑義が呈された。モノのやりとりとしての「お裾分け/お返し」は濃密に過ぎて(心的)負担が大きいというのである。
 疑義を呈した人が「例えば」と挙げた事例が、姑がいろんなモノを送ってくるのが(お返しを考える)嫁には負担になるというものだったために、「それは嫁/姑問題だよ」と言って「お裾分け/お返し」による「信頼関係の輪」とは別問題のように片付けてしまった。だが後で考えてみると、そう簡単に言って片付けられないモンダイを含んでいる。
 ひとつ、「お裾分け/お返し」というコミュニケーションのかたちは互いの信頼と親密さを表すものであったというのは、原初的な共同性の姿である。まだ狩猟採集をしていた時期には、獲物を平等に分けて食したと言われている。それは構成員としての平等公平ということよりも、皆で分けて食べなければ誰かが飢えるということを意味したくらい、食料が豊かではなかったということもあろう。あるいは、文化人類学者の奥野克己がボルネオ島の狩猟採集民プナンの「ありがとうもごめんなさいもない森の民」の報告もある。モノを分けるというのを「ありがたがる」のは誰かの所有であるモノが分けられて私に与えられることを意味している。プナンの民は「所有」という観念がないため、モノのやりとりも、誰かのモノを盗るという観念もない。「ごめんさないもない」というワケであった。
 だから、姑から(息子に)モノを贈るというのは、母親が未だ息子を所有していることを意味しており、妻である嫁にとっては平然とそれを受けとって済ますわけにはいかないワケが歴然と存在する。つまり姑の息子夫婦への贈り物は、「お返し」を考えないではいられない心的負担をもたらす。それは若い人だけに限ったことではない。嫁-姑問題として、別の次元の問題になる。
 確かに疑義を呈した人が言うように、古い世代の私たちは「お裾分け/お返し」というモノのやりとりをコミュニケーションの一つとして身に馴染ませてきたのかも知れない。逆に都市生活をするようになって私たちは、贈与互酬という観念を日常的にはなくし、卒業や入学、進学や主食の祝いとして、あるいは誕生祝いとして贈り物をする非日常の振る舞いになった。
 儀礼的には、年賀や暑中見舞い、お歳暮として残る。葬儀や法事という不祝儀の儀礼は、確かに確乎と残っているモノのやりとりである。儀礼的になったということは、「信頼」を取り繕う形式となったことを意味する。
 では、日常的な互酬性は何処へ行ったのであろうかと、人は考えるかも知れない。だが、どこにも行っていない。狩猟採集やそれにつづく時代の互酬は、市場経済的にいうと物々交換であった。交換は発展して広がり、分業も進んで流通も盛んになり、贈与互酬の色合いが薄れて取引になってくる。それはなくなるのではなく、古層に沈み、これは交換が貨幣を媒介にした市場をつくるようになったことで、贈与互酬というコミュニケーションとは全く違った意味合いを持つようになった。
 ごく身近な家族の間、あるいはごく親しい友人との間、親密な仲には残るものの、それ以外は、非日常か儀礼的なこととして残るだけで、揮発してしまった。取って代わったのが、資本家社会的商取引といえようか。人と人の関係もコミュニケーションもこうして、商取引の論理に席巻されるようになり、人もそれに合わせて肌身の感覚を変えてきた。先ず、イイかワルイかよりも、そうやって人の関係が、その土台をなすヒトの感性や感覚ごと変わって来ているってことだ。しかし肌身に刻まれた人と人とのコミュニケーションの記憶は、そう簡単には消えない。無意識の振る舞いや「しこう(嗜好・思考・志向)」に、積み重なっていて、ときに何かをきっかけにして水底の奥から湧き起こるガスの泡のように胸中に浮かび上がってくる。
 おやおや、何を言いたくてこれを書き始めたのかわからなくなった。でもまあ、人の関係やコミュニケーションも、モノばかりでなく、何かを媒介にして人がコトやモノや言の葉や濃厚接触によって取り交わすウイルスまでをも、生き物であるヒトの実存在をどう肯定するコトにつながっているか、そこにまで降りたって組み立て直してみる必要があるのじゃないか。そんな気がアタマの隅をちょっと掠ったように感じたのである。

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