mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

水晶岳訪問(6)若い人に会わないから老ける

2024-08-29 05:42:06 | 日記
 第六日目。あとは下山だけ。4時半点灯、5時朝食。5時半には出発になった。
 新穂高ロープウェイまでは3時間半ほどの行程。小屋上の池にある展望台からも、高い山は雲の中で見えない。行こうとすると、小屋の方から6人ほどの若いパーティがやって来て、彼らが先行する。涼しい。最近4回もこのルートを往き来しているというのは、歩調にも影響する。勝手知ったる道って感じ。順調に岩を踏み、進む。行程50分のところ、30分もかからずにシシウドヶ原に着く。
 見上げると穂高の峰々の雲が高くなり、傍の針葉樹と一つになって黒々と、睥睨しているような高さを屹立させていた。晴れてくるのだろうか。
 登ってくる人たちと相次いですれ違う。新穂高を3時半に歩きはじめたという人もいる。これから北アルプスの核心部へ向かうという毅然とした心持ちが、感じられる。
 先行した若いパーティが一休みしていたのか、発とうとしている。
「大学生?」
「そうです」
「山岳部?」
「いえ、ワンゲルです」
「気をつけて」
 と言葉を交わす。
 彼らとは、このあと2回出逢う。次に会ったのはやはり行程50分の秩父沢出合。岩に木製の橋があり、その手前で休んでいる彼らがいた。
「どうぞ」
 と私たちに先行するように道を空ける。
「ははは。君たちのあとに歩きますよ。どこから入ったの?」
「折立から」
「じゃあ、黒部五郎を回ってきたんだ。5泊くらいした?」
「いえ、3泊です」
「そりゃあ、すごい。速いねえ」
「あなた方は?」
「ああ、私たちは野口五郎から、水晶回って今日下山ですよ」
「私たちが去年歩いたコースだ」
「槍へ行ったの?」
「いえ、ここを下りました」
「……」
「じゃあ、先に行きます。またお会いしましょう」
「ははは、もう会うこともないいですよ。元気でね」
 と言葉を交わして別れた。
 登山口までは行程40分ほど、私たちが彼らに追いつくとはおもえなかった。実際に彼らの姿を見たのは、登山口から林道を20分ほど歩いたところにあるワサビ平小屋の外に設けられたベンチ。たくさんの登山客に混じって、ジュースを飲んでいた。そのうちの一人が私に気づいて手を振り、私も手を挙げて挨拶をして通り過ぎた。
 この山行の全体を振り返ってみると、若い登山者が圧倒的に多かった。夏休みということもあろう。パーティを組んでいる彼らはテント泊。山小屋には泊まらない。でも休憩し、水を補給し、あるいは山小屋前のベンチで交わす声がよく通り、響く。若い。溌剌としている。
 そういえば、私のような高齢者は、若い人と接することが各段に少なくなった。それだけで老け込むってコトがあるかもしれない。高齢者の世界から若い人がいなくなっている。リタイアした高齢者が大学などへ通って講座に加わるようになれば、高齢者の老け込みもまた、変わるかもしれないと、埒もないことを思った。
 下るほど登山者と挨拶を交わすことは少なくなった。
 新穂高ロープウェイに着いたのは8時40分。小屋を出てから3時間10分。コースタイムは3時間20分だから、ま、誤差の範囲ペースで歩いている。
 Kが車を止めた無料駐車場はそこからさらに20分ほど歩いたところにあった。9時着。
 そうだ、「(3)言い当てたいこと」で記したあとの歩行データを記しておこう。
 8/21は24500歩、18.1km、8/22は18700歩、13.8km、8/23は23000歩、17.1km。歩いた時間と歩数は比例しないし、距離もまたずいぶん違いがあった。
 無事下山。
 平湯バスターミナルの少し南にある日帰り温泉で、6日ぶりの汗を流した。のんびり露天の湯に浸かって、しばらくボーッとする。疲れというか、山を歩いて降り積もる緊張というか、こわばった身体がほぐれて湯に溶け出すように感じられる。
 いい山行であった。何がいいかをどこかに措いた感触が身の裡に満ちてくるのを受け止めていた。
 ぽつぽつと言葉を交わす。
「いや、ほんとうにありがとう」
 そう、言葉にして感謝した。
「年齢にすると、そこそこ元気なんじゃない」
 とKは、言わずもがなという風情で見立てを口にした。
 ふむ。何となく、山の権威からお墨付きをもらったような気分。わるくない。
 こうして5泊6日の、私の裏銀座山行は終わった。