mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

水晶岳訪問(5)草花を愛でる気分が戻ってきた

2024-08-28 06:37:12 | 日記
 第五日目。今日は行程が4時間40分。まったく急がない。6時出発にしようと話していたが、部屋の点灯が4時というので4時起床。朝食が5時。食事が終わると、出発ということで、5時半に出ることになった。
 外は雲に蔽われている。ハイマツの合間に置かれた何張りもあるテント泊の人たちも、出立、あるいは、その準備をしている。ハイマツを抜けながら雷鳥日和だねと言葉を交わす。少し登って上から下を眺めると緑の中に三俣山荘が佇み、色とりどりのテントが点在している。景観の外縁は霧に取り囲まれており、いい風景だなあとおもう。
 40分くらいで三俣蓮華岳への分岐に来る。雲に囲まれたこの調子では山頂もオモシロクなかろう。それに先月私は、黒部五郎からの帰途に立ち寄った。そのときは快晴の絶景。そのなかを双六岳へ向かって稜線を歩いた。また稜線の途中から下る「中道」と名付けられたお花畑のルートも往きに歩いていた。今日は双六小屋への三本のルートの未知の一本、「巻道」ルートを辿ろうと、そちらへ踏み込んだ。
 あとで考えたのだが、ひょっとしたらここまで4日間のわが身の疲れが、霧を口実に巻道を選択したのかもしれないと、身の無意識を振り返る。巻道を歩いているときに、槍ヶ岳のある南側の空は、次々と湧き起こる雲に蔽われているのに対して、双六岳への稜線に塞がれた西側の上空には、青空が広がりはじめてきたからだ。ああ、これなら、西の方は見晴らしが良かったかもしれない。ことにKにとっては、稜線沿いの方が、いずれのピークも踏んだという意味では、良かったかなと思った。
 巻道のウリであるお花畑は、もう旬を過ぎていた。コバイケイソウはすっかり葉を枯らし、チングルマは長いヒゲのような穂を伸ばして風に揺れている。アキノキリンソウやウサギギクの仲間、トリカブト、ハクサンチドリ、トウヤクリンドウ、コゴメグサの仲間とか、名は知らないアザミなどは元気が良い。というよりも、花を見てカメラに収めようという気力が、いくぶん今日は戻ってきている。ハイマツの上を飛び交うホシガラスが幾度も目に止まる。
 景色を味わおうという気分も、甦った。水晶岳との間の谷を埋める雲海は、まるで谷間に蓋をしたようにふ~わりと被さってオモシロい。高い雲と谷間の雲ノ間に槍ヶ岳に連なる北鎌尾根がくっきりと峻険さを際立たせた稜線をみせて毅然としている。Kはここを冬に踏破したと話していた。これも、今日の行動時間が短いという余裕が醸し出したわが身の気分だ。
 コースタイム2時間50分の双六小屋にも2時間半で到着した。まだ8時。小屋前のテーブル、ベンチに腰を下ろし、20分ほどものんびり過ごした。青空が見えるようになった。wifiが使える。早速、送受信できなかった2日分のメールを送信し受信する。昨夜同宿であったアラサーの男性が、槍ヶ岳へ行くのは難しそうだから、どこへ泊まるのかとKに訊ねている。答えを聞くと、同じ経営系列ということで、双六小屋で宿泊申し込みをしていた。彼は何かを送受信しなくてはならないコトがあったようだが、auでなかった所為で、弓折岳への稜線に出て、ときどき立ち止まってスマホの遣り取りをしていた。
 先月まだ雪田の上を歩いたところは、すっかり雪も解け、砂地に踏み跡がたくさんついていた。
 1時間ほどで弓折峠に来た。南側の谷は雲が満ちあふれ下から湧き上がってきている。9時半にならない。下から上がってきて、双六小屋や鷲羽岳の方へ向かう人、そちらからやってきた人たちが一息つくのに、ここのベンチに腰掛けて休んだりお喋りしている。次々と発ち、次々とやってくる。小屋に早く着きすぎるのも考えものだと思って、ここで25分も時間調整をして鏡平へ向かった。10時半になる前に小屋に着いてしまった。
 小屋前のベンチでは、ここに泊まる人、これから双六方面へ登る人、ここから新穂高へ下る人とさまざま。そういう時刻と場所なのだ。鏡平小屋はスウィーツやラーメンの提供をしている。600円のコーヒー、1200円のラーメン。ちょっと海外の2000円とか3000円もするラーメンを思い出させるが、山小屋ならしょうがないかと思って、ふと一つ気づいた。
 この小屋には、ヘリが着陸できるような開けた場所がない。ロープで吊り下げて荷を飛ぶヘリの姿は先月も見かけたが、はて? ここはそれをする余地があるのだろうか。
 歩荷? まさか。歩荷なら、去年から4回もこのルートを通っているのだから、出逢わないわけがない。どうしているのだろうと思ったが、それっきりになった。
 宿泊の手続きをして部屋に荷を置く。先月、黒部五郎岳に登るときは2階の蚕棚。今回は「別館」という新築の棟。枕を並べるのはどこの小屋でも変わらないが、胸から上の部分は紗で仕切るように設えている。また、足元には布のカーテンがあって、閉じれば「個室風」になる。こうしたちょっとした細工が居心地の良さに大いにかかわっている。鏡平山荘が、その立地だけでなく評判を呼んでいるわけが分かるように思った。
 どうして「評判を呼んでいる」と思ったか。この「別館」の脇にさらに「新別館」を立てる土台がすでに設えられ「工事中」であった。そうか、この建築材料はヘリで運ぶしかない。やはりどこかにヘリポートか荷を吊り降ろす余地はあって、双六グループのヘリを飛ばしているんだと腑に落とした。
 乾燥室は熱いくらいの風が炊き込まれている。まだ干している人は僅かだが、着替えて全部衣紋掛けに掛ける。食堂の先にカウンターやテーブルがあるので、ビールを頼み、持ち込みのビスケットなどでお昼にする。Kは本を読んでいる。私はボーッと窓の外、雲に隠れた槍ヶ岳や奥穂高の稜線を「透視」するようにして、頭を空っぽにする。いいなあ、こうして言葉を交わさないで、でもなんだか気心知れているって感じられるのは、と考えるともなくおもう。
 90度向きの違うカウンターに陣取った男性二人の交わす言葉がときどき耳に飛び込んでくる。一人は、どこかの山小屋の経営者のようだ。蒲団を干すこととか、部屋をどうするとか、ポツリポツリと意味が伝わってくる。でも、どうでもいいから、するりと抜けていく。彼らもどうでもいいことを話しているのか、こちらにどうでも良く聞こえているのか、とりとめない。人って、こうやって、何をしてるんだろう。
 ビールが空いてしまった。私はお湯をテルモスにもらいに行き、ついでに180mlの赤ワインをひとつ買って、Kに渡す。彼は本を読みながらそれを飲み、私は持ってきたスティック・コーヒーを湯で溶いてすする。
 読み終わった本をKは「読む?」と手渡す。チャールズ・ダーウィン『ミミズと土』。
「あっ、これ読んだ」と返しながら、はて、いつ読んだんだっけと思うが、思い出せない。帰ってから調べてみると、去年の7月。
《そういえば《法はささいなことにこだわらず》という格言があると、19世紀後半イギリスのダーウィンが記していたっけ(チャールズ・ダーウィン『ミミズと土』平凡社文庫、1994年)》
 と、この本の内容とは関係のないことで引用しているだけ。そうだ、思い出した。ナチスの農業政策を研究した本の絡みで、この本のことを知り、繙いたのであったか。ナチスのそれを研究した人の名とか、書名とかはすっかり忘れているのに、「その絡み」だけが記憶に残っているなんて、まるで「ささいなことにこだわらず」そのものだなあと、笑う。これは歳の所為なのか、私の特性なのか、わからない。固有名を基本、記憶に残さず、関係や印象を「意味」として摑まえて仕舞っているのは、ひょっとするとワタシの若い頃の「論理的傾き」と関係があるかもしれない。そう、ちょっと思うことにも気づいた。
 この山荘には、ここ2年で三度泊まった。それもあって、強い親しみを感じる。トイレも、洗面所も、清潔感が何より気に入っている。食事などはさして特別ではないし、サービスも素っ気なく、ふつうの山小屋とかわらない。にもかかわらず、然るべき所はきちっとポイントを抑えていて、放っておかれるのが心地よいって、ことかな。
 さあ、明日は下るだけ。4時間足らず。風呂に入れるぞと、気持ちははや、いそいそしている。


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