mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

地動説時代の客観性

2024-03-11 09:05:36 | 日記
 今日は3・11、東日本大震災から13年。早いなあ。いや、過ぎ去ってみれば早いのか。それだけ身に残ることが少なくて、通り過ぎるだけなのかも知れない。実際、親兄弟の死や最初の孫の成人、最後の孫の高校入試まであった。この大震災がきっかけで始まった田舎の高校同期在京組のseminarも昨年、店を畳んだ。山の会の誕生と終熄もこの13年に収まっている。これらはその都度、記録を「本」にしてまとめてきたから、身に残っていないわけではない。それなのに過ぎてみると、それが何なのよと身の裡の何かが反応するくらい、どうでもいいことになってしまっている。わが身の感性なんて、当てにならない。そう自身が思っている。昨日のこの欄で、人動説時代の人間は自分を含めて信用できないと記したのは思い付きの物言いだが、的を射ている。
 昨日図書館へ行って手に取った本が、村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書、2023年)。
《客観性という言葉は、昔から存在したが、十七世紀には「主観的」という意味を表していた》
《客観的データこそが正しいというのは今ではあたりまえの感覚だが、歴史の中で徐々に生まれた発想だ》
 とあって気を惹いた。
《「客観的実在」”rialitas objectiva”は「思い描かれた実在」のこと。……私が思惟する観念の内容物であり、”主観的な”ものなのだ》
 と付け加えて、17世紀には裁判に専門家が登場し、その判決によって「客観性」が判定されていたとある。つまり(私流に翻訳すると)天動説時代の(神の判断を裁判官に託すかたちで)尾を引いていると思う。
 天動説時代というのは、実は人(の感性)が中心に座っていた。絶対唯一神も、その神が自在にせよと人に与えた大自然も、ことごとくヒトの想念が生み出した産物であった。つまり唯一神の託宣は、この地を人間中心で思うようにしていいよという、謂わば正統性を担保する言葉であった。
 ところが地動説が成立し、人の思いとは全く関わりなく変転している大自然があり、ヒトはそれを読み取っているに過ぎないという発見が、古代エジプトやインドや中国で行われていた。古代エジプトの測量術、インドの数学、中国の航海術とか羅針盤であり、拝火教やヒンドゥ教や仏教の教説はそれを言葉にして証している。それをヨーロッパ人が「発見」したのが、後にいうコペルニクスとガリレオであった。ちょっとここは精密に言うとややこしいのでひとまず単純化するが、天地の中心は地球ではなく、大宇宙の隅の一角に地球が存在することを承認することであった。天動説が地動説へ転回した。
 コペルニクス的転回を天地がひっくり返ることと私たちはとらえているが、コペルニクス・ガリレオの16世紀のそれを、18世紀のカントがも少し違った意味で用いたのが、ここでは重要になる。コペルニクスの時代には「認識が対象に依存する」と考えられていたから、天地がひっくり返るような大転回と受けとられたのであるが、カントは、それを認識論に持ち込んだ。天地がひっくり返ったんじゃないよ。ヒトの認識がひっくり返ったんだよ、と。対象が認識に依存するという意味で、「コペルニクス的転回」という言葉を用いた。つまりカントは、あくまでもヒトの思念が世界を立ち上げているのであって、客観世界がヒトの思念を構成しているのではないと、思索における主観と客観の主体を見失うなと定言したのであった。
 話を元に戻す。
 17世紀に「主観」を意味していた「客観」がどう変遷したかを、村上靖彦は六つの段階に分けて考察しているのを引用している(提起は社会学者の松村一志)。オモシロイから参考までにそれを記し措く。
①感覚の段階……身体感覚によって確認する。
②視覚化の段階……物質的変化を目視する。
③数量化の段階……物質的変化に目盛りを与える。
④誤差理論の段階……(複数回測定して)測定精度を誤差理論によって分析する。
⑤指示・記録計器の段階……物質変化が目盛りの上の指針の動きに変換され、記録される。
⑥デジタル化の段階……数量をデジタル表示する。
 ①~③までは、証言によって結果を保証する必要があった。ところが④以降は、機械が計測して表示する。ヒトの手を離れた。実はそれとともに、ヒトの感性からも離れてしまった。カントがいう「コペルニクス的転回」が「対象は認識に依存する」というのは、あくまでもヒトがそう読み取るから「対象」が存在するのだということ。認識主体を見失うなという定言であったのに、客観的という意味をヒトから切り離してしまったのであった。
 それに輪をかけたのが19世紀に発展した写真という技術であったと村上はいう。人の目という曖昧なものに「邪魔されずに見る」ことが「機械的客観性」として成立するようになった。
《自然は神からも人からも切り離された、それ自体で成り立つリアリティとなる》
 と、主観性の排除と客観性への執着を生んだ、と。それはさらに進化して、「機械的客観性は、法則、記号をもちいた論理構造に主役の座を譲る」と村上は話を広げる。つまり測定よりも方程式が法則を証すものとして主役となり、それは事象の実態を求めるのではなく、事象と事象の連関を読み取ることに焦点が移っていったことを意味する。
 このようにこの本を読んでくると、戦中生まれ戦後育ち世代の私たちが、学校で学んだこと、専門家の著作を読み門前の小僧的に受けとったことから、ずいぶん我知らず身に刻んでしまった「傾き」が多いことに気づく。理念や理想ばかりではない。身に刻んだ自然と考察対象としている自然と、自らの認識の間にどのような「傾き」を身に刻んだかが、浮かび上がる。いまさらと思わないでもないが、八十爺がオモシロイと感じて我が身を覗き込んでいるのである。