mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

来週のお題

2024-03-09 16:29:04 | 日記
 来週の「ささらほうさら」のリポート順が私に回ってくる。先月の中頃からずうっと何をどうリポートしようかと考えてきた。ちょうど入院し15日に手術し19日に退院するまでの3日半ほどの間に読んだ本のことを話そうと思っていた。
 安宅和人『シン・ニホン』。
 いま世界はスマホという大陸に乗って暮らしていると時代を切り取る。AIが世界中の人びとの、日々の暮らしで、何時、何を食べ、何を着て、どう愉しみ、何処へ行き、如何に働き、何を読み、観て、聴いて、関心を傾けているかを、データとして読み込み、それらを商品として提供する世界が、凸凹濃淡はあるけれども、急速に広がり地上を蔽っていると、時代の特徴をみてとる。
 そこでつかわれているカタカナ言葉が、ぼんやりとしたイメージしかわからない。ひとつひとつ調べながら、徐々にデジタル世界にかぶりついている。
 一方日本は、1990年代にバブルがはじけて以来、「失われた*十年」と呼ばれた日本経済を、展開してきたスマホ大陸に位置づけてみると、1980年代バブルに向かって世界のトップランナーとして誇らしげであったモノづくり日本は今、見る影もない。バブル崩壊後、なぜ伸び悩んで世界の先進国から取り残されたのかを、安宅は解析し、これからの日本再生を「シン・ゴジラ」に因んで「シン・ニホン」として描き出している。このとき、日本のまだもっているリソース(資源)やソース(源)を産業的な領域だけでなく文化領域に押し広げて取り出す視線に、ワタシの視線と交わる感触がある。
 この「失われた*十年」とコロナ禍の天啓が人類に伝えている危機と、トランプ現象やウクライナの戦争、加えてイスラエルのガザ統治の暴虐、米中対立など、世界はすっかりささらほうさら状態に陥っている。地動説という、ヒトに対しては絶対的に圧倒的な力を発揮する大自然をないがしろにして勝手放題にしはじめた。つまり私いうところの「人動説」時代へ踏み込んでいる人類を茫然とみている私の、あれやこれやの所感を一つの糸に繋ぐきっかけになればと考え進めている。
 ただ、安宅和人の書いていることをそのまま紹介するのも能がない。何しろ聴き手は皆アナログ育ちの高齢者である。デジタル時代への変わり様とその速度を実感しつつ、未来を語る現在の立脚点を、どう見定めるか。それらの「問題」を、国連機関や日本政府や日本の産業界がどうとらえているかをおさえた上で、では市井の庶民である私たちは何処に視点を置き、どう切り込んでいくのが適切か。そこを先ず鮮明にしなくてはならない。
 とすると、安宅和人という人の立ち位置、それを読み取る八十爺の「しこう(嗜好・思考・志向)」フィルターを濾して語る方法を考えてみることになるかな。そうだ、「口演」にしよう。2時間半ほどの、難しいことを平易に、メンドクサイ理知的な理屈を具体的なイメージに変えて、重いテーマを軽々と語るとすると、何だ、落語になっちゃうのかな。それともワタシ流トランプになっちゃうのかな。合いの手が入れば、掛け合いで、何処へ着地するかわからない展開になる。うん、それもオモシロい。
 そうなると、ワタシのここまで日々取り上げてきた諸々の欠片を、一筋に繋げて吊す一本の糸に、安宅の本がなるだろうか。方法的には、なかなかオモシロイ視点を保っているのに私は好感を持っている。だがやっぱり若い人らしく、ヒトというか、社会に対しては表層を言葉が走るような感触があって、腑に落ちる実感のところで、なんだかなあ~と思う気分が湧いているのが、残念である。
 いやまだ、4日ある。本気で考えなくちゃあ。