mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雪だ! 溶けるような訣れ

2024-03-08 08:20:50 | 日記
 目が覚めて外を見たら雪が積もっている。庭を蔽い、垣根のイヌツゲの不揃いの頭も白い。西側の自転車置き場の屋根も、垣根の向こう駐車場においた自動車の屋根も、全部白い。まだ蕭々と降っている。というよりは、ボタボタと大粒の雪が落ちてくる。この積もり具体はこの冬、初。おっと、もう啓蟄もすぎている。この春、初だね。こうして雪が降ると春が来たという関東地方特有の気象の特性。海に近い千葉や東京などは、もっと頻繁にこうした雪に見舞われて、春を迎える。
 雪が降るとなぜかワクワクする。子どもの頃は犬っころのような気分じゃなかったか。大人になってもそうだったと、都内に住んでいた下宿のことを思い出す。朝起きて雪だとわかると、兄はカメラをもって家を飛び出し、六義園へ撮影に出かけていた。雪の少ない岡山の瀬戸内で育ったということもあったかも知れないが、いま思うと、雪という非日常が何か身に刻んだ心裡のワクワクを刺激していたんじゃないかと考えている。
 いつだったかラジオで動物学者だか心理学者がお喋りしていた中で、犬が飛び跳ねるのと同じでヒトも、うれしいことを体で表すのに、飛び跳ねたり手をひらひらと振ったりする。これは、歓びの対象に向けてエネルギーを消費していることを示している、と。そのご苦労を(対象に)献げることでファンの熱狂性を表現すると言っていた。サッカーの試合でぴょんぴょん跳びはねてオ~レ、オレオレ~と歌っているのを思い浮かべていた。オモシロイ。
 では今のワタシの雪との向き合い方は何だ。飛び跳ねることもなく、といって雪かきのメンドクササを思うでもなく、おおっ降っているぞとそれとなく心躍る思いを身の裡に感じている。ま、歳をとって飛び跳ねる力は無くなっているから、ココロを踊らせるくらいで大自然とのお付き合いを勘弁してもらっているようなところか。
 大自然と言えば、昨日、彼岸に渡った山の会のオキタさんに線香を上げに行った。前日が49日であったのに、私には病院の診察が入っていて時間を取れなかったので、1日遅れのお詣りであった。オキタさんとはもっと前からお付き合いしていたやはり山の会のカクさんと一緒。黄色い帯を巻いた「お供え」の不祝儀袋にカタチばかりのおぜぜをいれる。いくら入れようか。
 その時ふと、「わたししゃ、誰のときでも三千円しか包まないよ」という樹木希林の口癖が響いた。「ほらっ、三千世界って言うじゃない」とそのわけを説明していたっけ。そういえばそういう言葉を仏教用語として聞いたことはあるが、はて、三千世界って何だろう。
 こういうとき「入口の扉」として私は辞書を引く。日本国語大辞典には500余字を用いて【三千大千世界】を説明している。
《宇宙についての単位と言えるもので、大千世界の別称。全宇宙は無数の三千大世界からなるとする》
 とはじまり、宇宙の広がりが私たちの体感している日・月などを含めた広大な範囲を一世界とし、これの千倍を小世界、小世界の千倍を中千世界、その千倍を大千世界と呼んで、その全体を三千大千世界という、と。おおっ、これって、現在の大宇宙のとらえ方と同じような見方ではないか。凄い、仏陀って凄いと感じる。「三界」ともいうとあって、おやそうなのかい、と思った。「女は三界に家なし」といわれていたのを私は、「前世、今生、来世」の三界だと思っていた。ま、間違いというわけではないが、時間軸ではなく、時空を一つにとらえる大宇宙のなかのほんの一世界を「三界」と受けとると、我が身の卑小さも、おおよそ他の何かと較べることさえも烏滸がましいケチな存在と思えて、うんうん、そうだよなあと、八十爺が頷いている。
 カクさんと私の三千世界をまとめて6000円を包み「お供え」とし両名を記し、その包みに「六文銭」と書いてお台を付けた。カクさんは面白がってくれた。
 遺影には結婚五十年の記念に訪れた伊勢神宮で撮った写真を使っている。カクさんは山の会で一緒に登った乾徳山の、最後の岩場を登るオキタさんの写真をプリントアウトして持参していた。この写真のオキタさんが笑っているのを、奥様は悦んでくれた。
 奥様も、年末から17日に亡くなるまでの入院、在宅の医療看護、子どもらに看取られて穏やかに逝った最後の3日間のことを、時々涙を堪えて話して下さり、立派な往生であったという感触を伝えてくれた。膵臓癌という診断を受けてから1年2ヶ月。彼がサバサバとして言葉を交わした12月を思うと、PPKなどという突然死よりも、こうして病に罹り、十分なお別れの時間を過ごす訣れも、いいもんだなあと思った。まさに溶けるように逝った、そういう感触であった。