mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

内部の外部

2024-03-23 09:41:27 | 日記
 ヘイトスピーチが好ましくないのは、憎悪の連鎖が渦を巻いて広がるからです。オレはアンタとは違うというヘイトスピーチのメッセージは、人のコミュニケーションの相互性から考えると、相手にも同じような心理的応対を呼び起こします。ちょうどロシアが侵略攻撃を始めると、受けて立つウクライナもまたそれに見合う武器を持って戦うしか道がないからです。
 侵略が始まってからの2年を総覧してみると、プーチンが構図を描いていたようにたちまちロシアサイドとNATOサイドの対立構図が出来上がりました。えっ、いまどきプーチンのような乱暴な論理と振る舞いがありうるんだと驚いていた市井の庶民は、自らののほほんとした無知を恥じるほかありません。のほほんとした無知は、20世紀後半的希望的観測の破綻を意味しています。
 希望的観測は人類に対する甘い見方を象徴しています。それが破綻してみると、たちまちヒト類が延々と構築してきたネイションと理性的科学の精華が詰まった殺傷兵器がピンからキリまで取り出され、まるでTVゲームをみているように実況中継までされ、専門家の解説までついて、縁なき衆生はハラハラドキドキとその趨勢を観戦しているのでした。でも気づいてみると、縁なきどころか台湾を介してすぐお隣へも延焼してきそうとわかり、ルールなきリアルゲームに巻き込まれている実感付という事態になっています。
 国際関係的には獅子身中の虫もいますから、NATO内部もそれを機に不協和音が鳴り響くようになりEUも一つではないとわかります。アメリカ国内でもトランプの親ロシアラッパが吹き鳴らされ、何故か知らないが身の裡に吹き溜まった鬱憤を晴らすように分断ができあがっている。世界も米中対立を先導として経済関係の利害得失も絡めて、齟齬反発対立不具合が遠慮なく表出してぶつかり合い、グローバルサウスからも頻出するようになってきました。
 のほほんが抱いていた国際協調の声もすっかり影が薄くなり、WWⅡで形づくられた大国の大国による大国のための世界統治装置であったことが剥き出しになっている。のほほんは理知的な世界認識が本質を摑んでいなかったのではありません。戦争にすっかり嫌気がさしていた敗戦国の列島住民が、WWⅡ後の世界統治装置が創り出した理念的幻想に誘われ、相互的戦力的角突き合わせを戦勝国に預けて目を背け、もっぱら非戦的経済競争に全力を注いできた結果でした。
 こののほほんを「平和惚け」とか「茹でガエル」と非難する人たちがいますが、WWⅡを実体験した列島住民にとっては身を以て摑んだ貴重な人類史的経験であったと言えます。それを貴重な(人類史的)経験と呼ぶのは、ワタシが80年の人生をかけて「平和惚け」した「茹でガエル」というのは市井に生きる庶民の最高の幸せじゃないかと、ロシアのウクライナ侵攻をみて痛切に感じているからです。ワタシの実体験が人類史的経験になるのには、それを言葉にし、こうして綴り、ウクライナの惨状やイスラエルのガザ攻撃に為す術もなく立ち尽くすパレスティナの人びとと対照させて考えているからです。これは数値で表すことはできませんが、これもまた理知的な人類史の読み取り方だとワタシは信じています。
 ここから、ロシアやイスラエルやアメリカやヨーロッパ諸国の、あるいはさらに中国や北朝鮮や韓国や日本の、目下の武装対立的相剋状況を批評するのには、ずいぶん距離があって、とうてい庶民の理知的に言い及ぶ力量範囲に収まりません。でも、直観的にはいきなり本質に切り込む思想的土台はもっていると(内心)感じています。国民国家的な次元ではなく入会地(common land)に暮らす小さな暮らしの単位の人びと(common people)という身の裡に宿る共通感覚(common sense)を取り戻し、そこに立脚して世界を語ることです。
 ずいぶん隔たりがあります。と言ってそれを飛び越えるほどの言葉を持っていません。でもまあこうして細々と言葉を紡いで、私的体験を人類史的経験の次元において考える糸口くらいはつくっておきたいと願っている次第です。
 世界は今、私にとっては遠いワタシの外部のように感じられます。でも少し我が身の感触へ内省的に目配りして考えると、プーチンもトランプも、バイデンも習近平も、わが身にも覚えのあることにこだわって呻吟しているようにも思います。その分だけ、ほんの少しですが我が身の内部とつながっていて、これまた人類史だと思っています。内部と外部が入れ替わるような時代なのかもしれません。
 人動説時代。ま、ぼちぼち言の葉を紡いで行きましょう。