mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

荒れる神を鎮める生き方

2015-08-28 09:14:55 | 日記

 宮部みゆき『荒神』(朝日新聞出版、2014年)。新聞連載小説。挿絵がまろやかなやわらかさを醸し出していて魅力的であったが、文章は読んでいなかった。1年余にわたって根気よく、物語りを胸中に保ちながら読みすすめることは、とても、できなかった。こうして単行本で読んでみると、タイトルの「荒神」が気にかかり、(作者が意図したかどうかはわからないが)それが主旋律として読める。

 

 宮部の設定する「荒神」は、領地争いの脅威を避けたいという「(弱い側の)呪術的願いが結晶したもの」という設定だが、いま国会で話題の「安保法案」に重ねて考えてみると、これも面白い読み解き方ができる。「呪術的願いの結晶=荒神」は、力の作動のモメントを制御することはできない。力には力を、となる。より一層強い力を「願う」。それはより強い反撃力となってこちらに降りかかっても来る。一度発動された「力」を鎮めるためには「贄」も必要となる。犠牲になるのは、坦々とした日常の暮らしである。日常において非日常を想定するのは、交換的な相対済ましによるか階級的な分業に拠るか。それほどに次元の異なる論理回路の差異を超えなければならない。宮部の作品では後者の身分制度を前提としているが、安倍のそれは「何」をもって差異を超えようとしているのか。「贄」とするのは何なのか。そう、思いは走る。

 

 この作品のベースに流れるのは、「力関係」を武力に頼るのか「人間関係力=社会関係力」に頼るのかという気風である。これも、今の「情況」を映していて読み取り方の自在さをもっている。さすが宮部みゆき、語り手の達者である。むろん、同列には論じられない。この物語には、綱吉という将軍の超越的他者がある。今はアメリカの帝国的優越性が消えつつあり、代わって中国という覇権国家がとってかわろうとしている。幕末のような状況なのである。この物語において争い合う両藩とも、確固たる綱吉の視線を意識しないではいられない。それをも物語りに組み込んで、落としどころを構成しているから、なお面白い。「落としどころ」とはいうが、白黒の決着をつけない、藪の中。これも宮部の社会観を体していて、好感が持てる。

 

 だが私は「荒神」をアップ・ツー・デートに読まなかった。「領地争いの脅威を避けたいという(弱い側の)呪術的願い」というのを、ルサンチマンとみた。ルサンチマンは、「恨み、つらみ、嫉妬、憎悪、怨念、恐怖」と平明に分節することができるが、いずれも(弱い立場に立つときの)人が社会的に存在する場面で持ち来っている原初的な感情・感性である。言うまでもなくその裏側には、強い立場の人が内心に持つ「誇り、矜持、義務、優越、安心、安全」が、底流している。前者は自らが築いた「神の力」は後者に向かって作用すると「呪術的に願う」が、現実にはそのように都合よく働くとは言えない。つまりルサンチマンが結晶したものとしての[神の力]は、誰に向かって、いつ、どのように作動するかわからないという不確定性を有している。私たちはたいてい自分に都合がいいように、ものごとを考える。自分がつくった「ちから」が自分に向かうはずがないと前提する。いや、前提するというほど意識的であれば、いくらかでも救いがある。たいていはそれを前提していることに気づかないで、コトをすすめてしまう。そこに人の業(ごう)や性(さが)があると私は思う(ちなみに、法治国家における憲法の優越性というのは、無意識に前提していることに気づかないではいられない社会的保障装置なのだが、いまやそれも怪しいというわけである)。

 

 ルサンチマンは、バイブルにも記されているように原初的な人間の「原罪」である。人の世が続く限り取り去ることができないこととなると、私たちは「荒神」の荒れ模様にどう向き合ったらいいのか。平穏な日常の鎮としての「神」をまつるのは、「神の力」の現れを願っているのではなく、その「力」を鎮めつづけようと願っているとは言えまいか。もしひとたび「力」が現れてしまうと、それは「我が神」であろうとも、我らの護りに働くとは言えないと、宮部は提示しているのではないか。神信心とは、神の力の頼るのではなく、「神の瞋り」に触れないように、己を慎ましくして生きることではないかと思わせる。宮部の作品中では、山人や農民の生き方として表現されている生き方がもっている「関係的謙虚」である。それは単に、国と国との「かんけい」だけでなく、ことに今の時代では、人と人との「かんけい」においても同じように言えることではないか。その意味で、今の私たちがどのような社会関係を築きながら「かんけい」を保持しているか、一つひとつの場面で問われていると、さらに本書を敷衍することができる。面白かった。