mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

母の一周忌の「花のあかり」

2015-08-18 09:39:59 | 日記

 母親の一周忌を終えて、昨日帰ってきました。亡き母の、子、孫の家族と曾孫の全員が顔をそろえ、にぎやかな「お祝い」でした。私は「花のあかり たてまつる ―― 妣の国のチヨコさん」という「祈念誌」を編集し、「写真帖」をつけて、捧げました。

 

 「祈念誌」はB6版224ページ。母の書き残したものと、5人の子どもたちと嫁さんたちの記憶をもとに、母の足跡をたどったものです。明治43年(1910年)に生まれ、2014年に104歳で亡くなるまでの母の人生とはなんであったかを子どもたちの視線から問い直して、私たちが受け継いでいるものとは何かを考えました。それは、同じように昨年亡くなった末弟と長兄の2人を追悼する趣旨も含んでいました。

 

 「写真帖」の中に、母と末弟がほんとうにご機嫌に笑っている一枚があります。1980年に、末弟の案内で、当時アメリカに赴任していた長兄を訪ね、アメリカ旅行をして帰国したときに、末弟のマンションで撮った写真です。母、70歳。母にとって長兄は、いわば自らの人生の「希望」を体現した存在。ですから、その任地であるニューヨークを訪ねることは、なににもまして嬉しくも得意な出来事でした。亡くなってのちに、「アメリカ旅行記」を書いてあったこともわかりました。その、異国の地を訪れた緊張がほぐれ、やっと無事に帰国したという安堵と、振り返ってみれば、大満足の旅であったという充足感が内面を満たしきっているのが、「ご機嫌の」一枚です。シャッターを押したのは(たぶん)私なのですが、私は覚えていませんでした。弟の遺品の中にアメリカ旅行を撮影した「ネガ・フィルム」がみつかり、弟嫁が送ってくれたのを幻像したことで、この一枚を見つけました。亡くなって一年経って、母は天国で末弟とこのように笑っているのではないかと思わせるみごとな写真です。もちろん心境は、アメリカ旅行などではなく、104年の人生を渡り終えて末弟と出会い、「あんたいつ死んだんなら」と言いながら、独り身ではなく愛おしい末弟と、自分の四十九日に付き添った「希望」の長兄に囲まれて、こんなにうれしいことはないとご満悦。そんな感じを湛えた一枚です。私は「散華」という言葉を思い起こしました。

 

 もう一枚「写真帖」の中に、私の気にいった一枚があります。2004年の2月、94歳の時。母の住まいの縁側に坐り、いちばん上の5歳の兄曾孫が母の肩口から顔を覗かせ、膝には4か月の弟曾孫をおいて、抱いた曾孫の感触を慈しむように「感じている」写真です。というのもその頃母はすでに目が悪くなり、しかとはものが見えなくなっていました。視線も、曾孫に注がれるというよりは、自分の感じている感触を確かめるような気配を湛えています。推察するに(たぶん)我が越し方の凝縮されたかたちを、曾孫の感触に探り味わっているという風情があります。

 

 「祈念誌」を編集していて、はじめに私が感じていたことは、何歳の写真をみても母は「母」にしか見えないという私自身の「傾き」でした。最初に目にしたものを親と思い込むという動物の子どもの習性がもたらす感触のように、「母と息子」という関係がもたらす(何歳になっても親は親、母は母という)感触にしっかり囚われていると、思ったものでした。ところが、「冊子」を編集していくにつれ、私の視線が変わるのを感じました。母が変化しはじめたのです。逆に言うと、変わる母を、書き記されたものの中に見出すようになってきました。そうなって少しばかり突き放してみると、明治の末近くに生まれ、大正デモクラシーの時代に育ち、富農の家が零落して都市労働者の娘として育てられ結婚、戦火を生き延びて、子どもを育ててきた人生の艱難辛苦を、泳ぎ渡ってきた一人の女としての母の姿が、みてとれるような気がしてきたのです。これはたぶん、母を妣(亡くなった母)として普遍的に受け止める段階に来ていたのではないかと、我が胸中を推し量っているところです。

 

 我が身に引き寄せてみれば、(母の人生を)「普遍的に受け止める」とは、我が人生のありようを、人類史的な営みの中に位置づけてとらえることでもあります。つまり連綿と受け継がれる文化的な継承を、母から子へ、子から孫へとつづけていることへの自覚です。そういう意味で、(子どもと孫の数に合わせて)わずか16部しか刊行しなかった「祈念誌」は、父母の子孫の「自覚」への導きの糸であり、「おのおのひとりゆくときの花のあかり」なのです。

 

 花や何
 ……
 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに
 声に出せぬ胸底の思いあり
 そを取りて花となし
 み灯りにせんとや願う
 灯らんとして消ゆる言の葉といえども
 いずれ冥途の風の中にて
 おのおのひとりゆくときの花のあかりなるを
       ――「花をたてまつるの辞」石牟礼道子