北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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白石遊郭跡地を歩く

2022-08-07 16:25:49 | 札幌

 

 

白石区菊水をぶらり歩き。

こんな風に、数字だけが濃いまま残っていて、漢字部分は薄くなって見えずらくなっている住居表示板、札幌市内ではあちこちで見られるのだけど、構造上の問題なんですかね・・・、

って、勿論本題はそんなことではありません。

 

 

 

おや、急に歩道幅が広くなりましたよ。

 

 

見てのとおり、この場所には緑地帯がありますが、その先は普通にアパートが建っていて、歩道が狭くなっています。

 

 

 

その反対側もまた然り。

緑地帯のある幅広い歩道はここまでで、その先はまた歩道幅が狭くなっています。

「ブラタモリ」的視点で見れば、もしかしてこれは、何かの痕跡なのではと思います。

 

 

そこで思い出したのが、札幌市内には同じような構造の区画が存在する場所があるということ。

それは、札幌の繁華街、すすきの交差点です。

 

 

遊郭跡 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

札幌で一番、いや、北海道で一番、いいえ、北日本で一番の歓楽街と言われる、「すすきの」の一角。何の変哲もない歩道のようにも見えますが・・・、何となくわかりますかね...

goo blog

 

 

 

 

すすきの中心部の地図。

三丁目と四丁目だけ幅が広くなっており、その秘密を、↑の記事で書いていました。

 

 

ということで、ここを拠点にブラブラ開始。

 

 

結論から先に書きたかったので、一気に先へ進みますが、歩いていくと、写真の公園に辿り着きました。

公園名の看板を撮るのを失念してしまったのだけど、「菊水公園」という公園です。

 

 

お、何かありますよ。

 

 

そう、この周辺には、かつて遊郭があったのです。

↑でリンクしたすすきのの記事では、明治4年(1871年)に設置された、官設の「薄野遊郭」の痕跡を紹介していましたが、この解説板は、薄野から遊郭が撤退した後、ここ菊水に移転していたという歴史を紹介しています。

 

 

薄野に存在していた遊郭は、大正7年(1918年)、開道50周年を記念した「北海道博覧会」が、近くの中島公園で開催されるに当たり、会場近くにそのようなものがあるのは風紀上好ましくないとのことで、ここ白石に移転してきました。

薄野からの移転に当たり、周辺の村は遊郭誘致に名乗りをあげましたが、リンゴの病害虫で悩む、白石村(当時)の果樹園主たちが、遊郭用地を札幌区(当時)に寄付して誘致に成功しました。

大正9年(1920年)までに移転を終えた遊郭は、地名をとって「白石遊郭」と一般に呼ばれるようになり、当時は、この写真のように、通りに面して30軒ほどの妓楼が建ち並び、通りの中央に小川が流れていました。

そして、遊郭の東西の端に大きな門があり、国道36号からこの門に至る道は「大門通」と呼ばれていました。

戦後の昭和26年(1951年)に札幌市が風俗取締条例を制定したことや、アメリカ軍の撤退で廃業する妓楼が相次ぎ、昭和33年(1958年)の売春防止法完全施行で白石遊郭は姿を消しました。

 

 

白石遊郭があったのは、この、赤で囲った範囲です。

先程の、幅が広く緑地帯が整備されている歩道は、中央に遊郭入口の大門が設置されていて、遊郭へ出入りする人の流れを円滑にするために、幅を広げて整備されていたということだったんですね。

 

 

ということで、西側の「大門」があったとされる場所から、通称「大門通」こと、市道「菊水中央線」の散策を開始。

余談ですが、今から20年前、HTB制作の「ドラバラ鈴井の巣」という深夜番組の中で放送された、白石区「だけ」の平和を守る正義のヒーロー「雅楽戦隊ホワイトストーンズ」というのがあったのだけど、この番組に出演していた、かの大泉洋さんの役名は、この通の名前を取った、「大門通(だいもん・とおる)」というものでした。

 

 

 

 

遊郭の中心部を貫く幹線道路ですが、ここが遊郭であったことを示す痕跡は何も残っていません。

 

 

再び、先ほどの「菊水公園」へ。

 

 

公園の一角に、小さな神社が設置されています。

 

 

 

現在は「菊水神社」と言いますが、元々は、中央区南5条西8丁目、薄野遊郭のはずれにあったのが、遊郭移転に合わせて、こちらに遷座してきたという歴史があり、遷座当初は「菊水稲荷神社」と言っていました。

稲荷神社ということなので、五穀豊穣、商売繁盛、縁結びなどの御利益があるとされていますが、遊郭の歴史と共に歩んできた神社ということで、遊郭のあった当時は、様々な背景を抱える遊女たちの悩み、悲しみを聞き、受け入れるためのお社という役割があったともされています。

 

 

 

こちら側が、東側の「大門」があったとされる場所。

これまた余談ですが、写真の場所のすぐ近くに、大学時代の友人が住んでいたことがあり、一度だけ遊びに行ったことがありました。

その友人は卒業後一度も会ってないのだけど、元気でやっているのかな・・・。

 

 

大門通から中へ入り、遊郭の両側であった小さな道路へ。

ここにも、当時の痕跡は何も残っていません。

 

 

 

 

 

電柱に注目してみました。

「菊水南」「菊水西」というのは、今は行政地名としてはありませんが、この表示板に「H27」とあるのは、この電柱が建ったのが平成27年(2015年)ということ。

何代目なのか知らないけれど、初代の電柱が建ったときは、まだ「菊水西町」という地名だったのだろうなと考えると、この電柱の名前というのは、どこかのタイミングで変わったりすることはないのだろうかと、ふと疑問に思いました。

 

 

 

地下鉄東西線菊水駅の出入口。

 

 

東西線新さっぽろ方面の地上部である「南郷通」。

東西線は昭和51年(1976年)に琴似~白石間で開通しましたが、かつての遊郭敷地内を横切っているというのも、何だか歴史としての面白さを感じます。


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2 コメント

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Unknown (ra9gaki_do)
2022-08-08 06:00:25
ナナマガラーさま、おはようございます(^-^)
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。

立秋過ぎて〜残暑見舞い申し上げます。
夏のお疲れが出ませんよう
くれぐれもご自愛下さいね。

塩分チャージタブレット買いました(^-^)
今日もどうぞお元気でご活躍を(^-^)
返信する
Unknown (ナナマガラー)
2022-08-08 06:51:14
@ra9gaki_do ra9gaki_do様

おはようございます。
こちらこそ、いつもありがとうございます。

今日は雨の予報ですね。
外出時は濡れないように気を付けなければですね。

塩分チャージタブレット買われたのですね。
まだまだ蒸し暑い日が続くので、今月いっぱいくらいは重宝しそうですね。
返信する

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