北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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八紘学園の歴史

2021-09-11 16:27:31 | 札幌

 

昨日紹介した、「北海道農業専門学校農産物直売所」の近くに、何やら歴史を感じさせる建物があります。

二棟並んでいるサイロが印象的です。

 

 

 

この古い木造の建物は、「八紘学園資料館」として使われており、内部見学は、事前連絡が必要だそうです。

「八紘学園」とは、大正8年(1919年)に、秋田県から、80名程度の仲間を引き連れて、現在の十勝管内芽室町上美生地区に入植した「栗林元二郎」という人物が、昭和6年(1931年)に設立した、「北海道農業専門学校」と経営母体となる学園のことで、「八紘」とは「広い地の果て」を意味しており、「道を切り拓く」という意味合いが込められていたそうです。

この建物が建っている敷地は、岩手県出身の「吉田善太郎」という人物が、明治4年(1871年)に入植し、開墾して設立した牧場にしたところで、同30年(1897年)に、「吉田牧場」がこの場所に開設されています。

 

 

 

御覧のとおり、札幌市の「都市景観重要建築物」と「ふるさと文化百選」にも指定されています。

 

 

写真のサイロは札幌軟石でできており、明治後期に建てられ、昭和18年(1943年)頃に改築されて現在の姿になったと伝えられています。

 

 

屋内見学は要事前連絡ですが、屋外にも資料展示が充実しています。

現在は使われていない、古き時代の開墾を担った貴重な農機具の数々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

へぇ~、あのポルシェが農機具も製造していたんですね。これは驚きです。

 

 

 

 

先程のポルシェもそうだけど、ドイツ製が多いようですね。

 

 

 

ここに展示されているのは開拓当時のものですが、「ブラッシュブレイカー」という名称自体は、現在でも畑の耕起作業を行う機械の名称として使われています。

仕事の関係で、その資料を見たことがあったので、ピンと来ました。

 

 

 

 

 

こういう説明があると、小学校の社会科見学なんかでも役に立ちそうですね。

 

 

 

 

 

現在の農業王国北海道の礎を築いた貴重な機械の数々に、圧倒される思いがしました。

貴重な展示資料として、今後とも大切にされていってほしいものです。

 


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