北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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永山武四郎と札幌

2024-02-23 16:01:06 | 札幌

 

もう4年前になるのだけど、「創成川イースト」と呼ばれるエリアの、「サッポロファクトリー」よりもまだ東にある、北海道の開拓の歴史に名を刻んでいる人物にゆかりの施設を訪問していました。

 

 

 

 

屯田兵の父の私邸 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

昨日紹介した「カトリック北一条教会」から割と近くにある小さな建物。二つの建物が同じ敷地内に並んでいます。こちらは、北海道の開拓に情熱を傾け、「屯田兵の父」と呼ば...

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ここは、北海道の開拓に情熱を傾け、「屯田兵の父」と呼ばれた第2代北海道庁長官・「永山武四郎」の私邸だった建物で、現在は一般開放されていて、屯田兵に関する資料や、北海道開拓の歴史に関する資料も多数展示されており、無料で観覧することができます。

 

永山武四郎は薩摩の出身で、明治5年(1872年)に開拓使として北海道に渡って北海道開拓使八等出仕という役職に就き、西南戦争に従軍した後、開拓少書記官、屯田事務局副長、屯田事務局長を経て、明治21年(1888年)6月から、兼務でしたが北海道庁長官を務めました。

退任後は明治28年(1895年)2月には、日本に置かれていた陸軍師団の一つである「第7師団」の司令官となり、退役後の明治36年(1903年)11月には貴族院議員となっています。

翌年、議会出席の為上京中に倒れて亡くなりましたが、親しい者たちに「我が躯は北海道に埋めよ。必ずやかの地をロシアから守らん」と述べ、この遺言により札幌市の豊平墓地に葬られたとされています。

 

 

 

場所は変わって、ここは大通公園の西3丁目。

 

 

 

 

現在は噴水があって、夏場は遊びに来ている親子連れで賑わっていますが、実は戦前、この場所に、永山武四郎の銅像が建っていたそうです。

先述のとおり、終生北海道に身を捧げた武人ということで、軍服姿の銅像が建っていたそうですが、残念ながら、戦時中の金属供出によって解体されてしまいました。

北海道で「武四郎」というと、「北海道」という名前の考案者とされる、冒険家の「松浦武四郎」が有名で、他方で永山武四郎は、その姓が地名になっている旭川市から見ると、札幌では今一つその存在が語り継がれていないと言われているようですが、戦後にその像が再建されていたら、それもまた変わっていたのかもしれません。

現在、永山武四郎の像は、旭川市の常磐公園と、姓が地名の由来となっている永山神社に建立されています。機会を作って行ってみたいと思います。

 

 

 

 

面白い格好の雪ダルマが作られていました。

手袋と、目の部分は何でしょうかね・・・。

 

 

 

「都市公園制度」というのは、明治6年(1873年)1月に発せられた太政官布達第16号が始まりとされる制度で、令和5年(2023年)がその150 周年だったことから、国、地方公共団体、関係団体に「都市公園制度制定150 周年記念事業推進委員会」が設置され、150周年記念顕彰として、全国の都市公園における165の施設が、都市公園が果たしてきた意義、役割を象徴する施設として、推進委員会において登録されることになりました。

調べたところ、大通公園自体がその施設に登録されたわけではないようですが(それは残念)、大通公園においては、150周年記念事業の一環として、西1丁目から5丁目において綺麗な花が観光客の目を楽しませる花壇について、「大通花壇コンクール」というのが開催されていました。

 

(登録された施設のリスト)

https://www.posa.or.jp/wp/wp-content/uploads/2024/02/150th_shisetusyu0330.pdf

 

 

大通花壇コンクール

札幌市

 

 

コメント
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