自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆避難住民を難民と見る視線

2007年07月22日 | ⇒メディア時評

 新潟県中越沖地震の被災地、柏崎市で奇妙な「事件」が起きた。産経新聞のインターネット版などによると、同市側は日本テレビ系列の中京テレビ(名古屋市)のスタッフが避難所のテントに「隠しマイクを仕掛けた」と公表した。中京テレビ側は市に「中継で背景の音を拾うためのワイヤレスの集音マイクで、隠す意図はなかった」と説明したという。

  事実関係を記事で拾うと、マイクが設置されていたのは学校の屋外に張られた炊き出し用のテントで、21日午後4時ごろ、スタッフが支柱にマイクを張り付けているのを職員が見つけて注意した。スタッフはすぐに取り外した。住民からの要望で、市側が一時的に報道各社に避難所(学校)での取材の自粛を要請。中京テレビは市に同日午後6時からのニュースで中継するつもりだったと説明したが、設置は各社が屋内での取材を自粛していた最中だった。中京テレビの現地担当デスクは、「隠しマイクという発表があったようだが、誤解だったということを理解していただいた。現場の説明不足で誤解を受けたことは遺憾だ。反省している」と話しているという。

  どんな説明があったとして、無断で仕掛けたのであれ、「隠しマイク」ではないか。要は、取材の自粛要請があったので、中京テレビ側はテント周辺での中継は無理と判断し、その代わり、離れた位置から望遠のカメラで現場を撮影し、中継することにした。しかし、遠く離れると現場音が取れないので、マイクを現場のテントの柱に仕掛けた、ということなのだろう。

  被災者からの要望での取材の自粛要請はある意味で当然のことなのである。16日の震災発生から5日たって、避難住民にとっては避難所はすでに「生活の場」となっていて、いわば、お互いが顔見知り同士の共同生活の場なのである。見知らぬ顔は、メディアの記者たちなのである。その記者たちが避難所に入ってきて、炊き出しの中身まで取材していく。これは避難住民にとって、とても違和感があるに違いない。事実、私が「震災とメディア」というテーマで調査した能登半島地震(ことし3月25日)でも、同様に避難住民からの苦情で取材自粛の要望があった。

  避難所を運営しているのは地区の自治体であり、炊き出しを行っているのはボランティアではなくその地区の住民のはずである。炊き出しの野外テントは共同の炊事場、つまり生活の場である。そこにマイクを仕掛ける(設置する)というのはどんな感覚だろうか。あたかも、被災地から逃れてきた不特定多数の難民がボランティアに支えられ、食事をするというイメージを描いての取材だとすれば、それは勘違いの視線ではないのだろうか。

  取材の自粛を要請する住民の気持ちを理解せず、しかも、「生活の場」である避難所のテントにマイクを断りなく仕掛ければ、これはどう見ても「隠しマイク」ではないのか。少なくても避難住民はそう理解するだろう。雑踏の集音マイクとはわけが違う。22日午前8時現在、中京テレビのホームページを閲覧しても、この一件についての説明がないのでテレビ局側のスタンスがよく理解できない。

 ⇒22日(日)午前・金沢の天気  くもり

コメント (1)
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