自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-2-

2019年07月14日 | ⇒メディア時評

   金沢大学での講義科目「マスメディアと現代を読み解く」では震災を新聞・テレビがどう報じるかを「震災とマスメディア」をテーマに2回(6月26日、7月3日)にわたって講義した。重いテーマだ。震災報道について論点をいくつか述べた。

   ~震災報道について、風化のハードル、既視感との闘い~

   突然やってくる災害報道に新聞・テレビはどう対応しているのか。新聞各社はそれぞれに、あるいはテレビだと系列として地震対応マニュアルを作成し、発生時のスタッフの役割・人配置を決めて、シュミレーションを実施している。ただ、2011年3月11日の東日本大震災のように広範囲で地震が起きた場合、津波や火災、原発事故などが同時に発生し、想定外の災害となる。また、現地メディアも被災した。

   東日本大震災では報道する側も被災者となり、連絡不能のなかで、スタッフは独自判断で行動することが求められた。仙台空港に駐機していたヘリは津波で機体が損壊して空撮ができず、災害の全体像を把握できなかった。それでもテレビ各社は3日間にわたって緊急特番を報じた。停電や輪転工場の損壊で一時印刷できなくなった石巻日日新聞は6日間にわたって「壁新聞」を発行し続けた。アメリカのニュース博物館「NEWSEUM」はこの壁新聞を展示し、「この新聞は人間の知ることへのニーズとそれに応えるジャーナリストの責務の力強い証しである」と評価している。震災時におけるメディアの宿命を端的に表現した事例だった。

   「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)とう教訓がある。260年前、経済学者アダム・スミスは『道徳感情論』の講義で災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、心の風化は確実にやってくると述べた。マスメディアにとって風化という視聴者のハードルをどう乗り越えるかは大きなテーマだ。被災地の復興は一般に思われているほどには進んでいない。この復興に対する意識のギャップを埋めるために、震災発生から定期的に特番を放送する。被災地の人々の心情は「忘れてほしくない」ということに尽きる。その心情を新聞・テレビが代弁している。一方で、マスメディア内部では「既視感」との闘いがある。被災地のローカル局と東京キー局との報道スタンスは異なる。ローカル局は被災者に寄り添う番組づくりを心がけているが、キー局は視聴率重視のスタンスがあり、すべての復興特番が全国ネットに上がるわけでもない。

    講義の最後に、マスメディアは災害や事故、事件で遺体の写真を掲載しない現状について述べた。被災者や読者・視聴者の感情に配慮してのことだ。リアクション・ペーパー(感想文)で学生たちに意見を求めた。「日本のマスメデイア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していません。被災者や読者・視聴者の感情に配慮してのことだと考えられます。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載しています。以下の問いのどちらかを選び、あなたの考えを簡潔に述べてください」と。学生には「1.現状でよい」「2.見直してよい」で選択してもらい、その理由を記入してもらった。

    67名の学生から回答があり、「現状でよい」54%、「見直してよい」46%だった。「現状でよい」の主な意見は「見る側への心理的な影響(PTSDなど)、とくに子供への影響が心配」「遺体にも尊厳がある」「インターネット掲載など別の方法がある」だった。「見直してよい」の意見を整理すると「震災を風化させないためにも、現実や事実を報道すべき」「見る側の選択肢を広げる報道をしてほしい」といった内容だった。

    2011年の東日本大震災をきっかけにこのアンケートを始めた。当初は「現状でよい」が70%近くあったが、今回は僅差になった。遺体写真は見たくはないものの、報道は事実優先でやってほしいというマスメディアに対する「あるべき論」が学生の間で高まっているようにも思える。(※写真は、2011年5月11日に撮影した宮城県気仙沼市の被災現場)

⇒14日(日)午後・金沢の天気    あめ


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