自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆続・過剰適合の悲劇

2012年12月14日 | ⇒メディア時評
 金沢と韓国を往復しながらITビジネスを展開している企業の日本人社長と先日、語らう機会があった。社長は、19日に投開票日がある韓国大統領選で、国民がフェイスブックやツイッターを使った選挙運動が盛り上がっていると話してくれた。韓国は人口4800万人のうち3000万人がスマートフォンを有すると言われる。韓国の憲法裁判所が昨年12月、ネット選挙の法的な規制を違憲と判断した。低コストや機会の均等というインターネットの特質が選挙に合致するとの判決理由だった。

 一方、先日、金沢の知人から「あなたの英知に判断ゆだねる」とある候補者の推薦の葉書が届いた。能弁な友人なのだから自分の思いを葉書ではなく、電話なり、直接の会話で表現すればよいだろうと思う。日本全体がこの時期、人に向かって「私は○○候補に一票を投じたい。それの理由はこうだ」と話すことを控え、まるで自粛しているようだ。そのくせ、新聞やテレビの世論調査に目を凝らし、耳を傾けている。そして、最近声がかすれた候補者の乗った選挙カーが市内を走り回っている。この風景は何十年も変わらない。盛り上がらない、まさに、選挙停滞の風景なのだ。

 この日本の停滞した、淋しい選挙戦は今の日本を象徴している。いや、日本そのもののように感じる。何も友人や知人たちと選挙の議論もしないまま、もう明後日に投開票の日を迎える。選挙運動の公平さを期する余り、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。このためホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあると選挙管理員会は警告する。選挙に過剰に適合したがゆえに選挙運動の柔軟さや多様性を拒否してしまっている。ネット選挙をしている候補者はいないかと監視している選挙管理委員会よりも、法律をそのまま放っておいた政治家の方に罪があるだろう。

 もちろん、選挙のネット解禁で投票率が上がるかとなるとこれは別のレベルの話かもしれない。フェイスブックやツイッターで飛び交う言葉には、誹謗や中傷、不確かな情報も少なくない。これを民意だと錯覚しては、民主主義はおぼつかない。なぜなら、ネット上で支持されても投票行動に結びつくかどうかは分からない。ネットは民意の集合体を形成しうるかはまだ先の話だ。

 それでも、この選挙期間の停滞感は人々の気持ちを暗くしている。なぜなら、誰しもがなぜネット選挙が許されないのか、「韓国にも先を越されているではないか」と惨憺たる思いでいるからだ。過剰適合の悲劇のスパイラルに落ち込んでしまっている。盛り上がらない選挙ムードをつくっている状況こそが問題なのだ。

⇒14日(金)夜・金沢の天気  はれ

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