自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★文明論としての里山16

2010年02月25日 | ⇒トレンド探査

 山のお寺にカフェがあり、海辺の学校にレストランがある。半島の先端で1個400円の豆腐が飛ぶように売れると言ったら、ちょっと立ち寄ってみたと思わないだろうか。ボランティアではない、れっきとしたビジネスなのである。

              スモールビジネスの根強さ

  輪島市町野町金蔵(かなくら)は朝日新聞「にほんの里100選」の一つ。山中に棚田が広がり、どこか懐かしい里山の原点のような地域。ここの特徴は、160人足らずの在所にお寺が5つもあること。その一つ、慶願寺には円窓の回廊とデッキテラスがある。カフェ「木の音(こえ)」。午前10時から午後5時まで営業(休日:水・木曜)。喫茶メニューは、各種コーヒーや紅茶ほか、オリジナルの古代米ケーキ、古代アイス、手作りピザ(ちなみに700円)、古代米シフォンケーキ(450円)、古代米団子(350円)・・・。寺の坊守さんを中心に地域のNPO法人が運営している。土日ともなると若いカップルも訪れる。

  珠洲市三崎町にあるコミュニティ・レストラン「へんざいもん」。小学校の廃校舎の調理室を利用した、毎週土曜日のお昼だけのレストランだ。近所の主婦たち4、5人が食材を持ち寄って集まり、700円の定食メニューを提供してくれる。秋になると土地で採れるマツタケを具材に「まつたけご飯定食」が目玉となる。特に宣伝はしていなが、どこからうわさが立ってこの日は利用者がぐっと増える。そのほか、魚介類や山菜類、根菜、菜っ葉ものすべて近くの海、山、畑で採れたもの。ちなみに「へんざいもん」とは、この土地の方言で、漢字を当てると「辺菜物」。つまり「この辺りで採れた物」のこと。地産地消を地でいく屋号なのである。

  能登半島の先端、珠洲市狼煙町。23日、この地区の集会場を訪れると20人ほどのお年寄りたちが全員マスクを着けていた。館に入ると、プーンとにおう。納豆をつくっていたのだ=写真=。においが気になってマスクをしていたのかと思ったが、食品衛生上のことらしい。束ねた稲ワラの腹の部分に煮豆を詰めていく。それをこたつを利用したムロに入れて寝かせ、発酵させる。28日に市内で食のイベントがあり、そこで販売するのだという。1本400円で、1200本つくる。狼煙地区で伝統的に栽培されている大浜(おおはま)大豆という地豆がある。これが市内ではとても有名な豆で、この豆でつくるワラ納豆は行列が出来るほどの人気だ。

  この地豆でつくった豆腐がまた旨い。腰のあるプリンのような舌触りで、飲み込むと食道からスルスルと落ちるようなのど越しのよさがある。販売している「交流施設狼煙」の店長に聞くと、地豆本来の味に加え、豆腐を固めるニガリが他と違うのだという。同市内で生産されている揚げ浜塩田の天然塩の製造過程でできたニガリを使用している。その中でもいろいろと試したが、この地豆の豆腐はこの人のつくるニガリでしか固まらない。この人とは、国の重要無形民俗文化財の指定を受けた保存会代表、角花(かくはな)豊さん。揚げ浜の5代目。たとえれば、「塩づくりの人間国宝」である。そのような背景を知っている地元ではこの豆腐に人気が集まる。1パック400円。

  億兆円の利益を稼ぎ出すビッグビジネスに比べたら、鼻で笑われる、瑣(さ)末なスモールビジネスだろう。逆に、豆腐などは広域のビジネスとして伸ばそうと思えば、やれなくもないが、それだけ材料の品質管理が難しくなる。しかも、彼らはそれを望んでいる様子もない。あえて市場化しないと言ったほうが適切かもしれない。地域に信頼されるコミュニティ型のビジネスなのである。

  ビッグビジネスを否定しているのではない。本来、ビジネスというのは地域の人に喜ばれて成立する、公共的なものである。利益の追及だけに走らず、地域に根ざして持続可能性を追及する、そんなビジネスがもっと多種多様にあってもよい。地域に愛されない、信頼されないビジネスがビジネスと言えるのだろうか。金儲けの手段とは別の話だ。

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気 はれ


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2 コメント

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第二の産業革命 (yukio takaichi)
2010-02-28 12:41:50
産業革命では、飛躍的な生産量の拡大と大量・遠方輸送が可能になった。しかし、その終焉が見えてきた。その限界と無駄に気づき、必要性も薄らいできた。人類の精神文化は既に紀元前に頂点に到達したという識者がいる。後追いした物質文化も、一つの限界に達し、転機を迎えたのだろう。uno氏が能登の例で示したものは、現社会の潮流であって、第二の産業革命を予感させる。
Unknown (uno)
2010-03-01 19:45:55
yukio takaichi様
示唆に富んだコメントありがとうございます。言い切れていないことを的確に指摘していただきました。金沢大の能登里山マイスター養成プログラムにはことし春からも東京、広島などから若者が集ってきます。能登の風景が変わるとき、ひょっとして日本が変わるのではないかと思います。

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