自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★松本で国宝二つ、そば一つ

2019年07月08日 | ⇒ドキュメント回廊

   北陸新幹線で長野駅に行き、それから在来線で1時間ほど。松本駅に着いた。松本城をゆっくり見学したいとの思いにかられ、東京出張の折、予定を変更した。

   松本城は400年余りの風雪に耐えた国宝である=写真・上=。黒門をくぐり天守閣に入る。鉄砲蔵で火縄銃など見ながらさらに上階へ。斜度61度の急階段は袴姿の殿様も大変だったろうなどと想像しながら天守6階にたどりついた。ここは周囲を見渡す「望楼」で、さらに天井には城の守り神「二十六夜神」が祀ってあった。権勢を誇る城というより、常在戦場を心得る場だったのだろう。

   それにしても感心したのは天守閣の床や階段が磨き上げられていることだった。ボランティアガイドのシニア男性に尋ねると、市内の中学生や市民が年に10数回集い、床を糠袋を使って磨いているそうだ。市民が誇りに思い、愛される城なのだと実感した。

   もう一つ国宝を訪ねた。松本城の近くにある「開智学校」だ。令和に入り、文化庁が答申した。1876年(明治9年)の建設。漆喰塗りの外壁を持つ2階建ての屋根上に八角形の塔を載せたデザインで、まさに洋風と和風の伝統意匠を織り交ぜた建築物だ=写真・中=。当時の学校建築としては先駆的で画期的だったろう。校舎は1963年(昭和38年)まで、実際に小学校として使われていた。展示品も見学した。この学校では1901年(明治34年)から丁稚奉公や芸妓の稽古などに出て学ぶ時間や機会がない子供たちのための夜間学校や、障害を持った子供たちのための教育など行ってきた。まさに「だれ一人取り残さない」教育の場だった。

   松本見学の締めくくりは信州そばだった。城の近くで50年余りそばを打っているという店に入った。思いが一つあった。出雲そばとの比較だ。昨年11月、国宝・松江城の近くの店で名物「割子そば」を食した折、出雲のそばは松江藩初代の松平直政(徳川家康の孫)が、信州松本から出雲に国替えになって、そば職人を信州から一緒に連れて来たと聞かされていた。出雲そばと信州そばは歴史的なつながりを確かめたかった。

   入った店は黒焼きの壺にビワの青い葉が生けられ、白壁に映えて気品が漂っていた。ただ、店にはメニューがない。黙って座っているだけ。日本酒が運ばれて来る。その後、ざるそばが出てきた=写真・下=。出雲そばと信州そばの歴史的な共通性を食感で得たのか。粗切りされたそばはすするのではなく、噛むそばだった。香りがよい。つゆも醤油味が濃いめで独特の甘みが少々ある。これが双方の共通点といえば、そうなのかもしれないと思いながら店を出た。

⇒8日(月)夜・金沢の天気    はれ


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