「6・9」運動という平和活動がある。1945年8月6日に広島に、3日後の9日に長崎に原子爆弾が投下されたことから、これに抗議し核兵器の禁止をめざす運動だ。日本では、原爆を開発をした人物については、自身も含めてあまり知られていない。アメリカでは、「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマーの伝記映画が7月21日からアメリカなど各国で公開されている。クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』。上映時間は3時間、観客の年齢が限られるR指定である。ただ、日本での公開は未定となっている。
ニューズウィーク日本語版(Web、2日付)は、「拍手と共に失笑も買った『原爆の父』…その『複雑な』人間像は、映画『オッペンハイマー』でどう描かれたか?」との見出しで、論評を掲載している。以下、記事を引用。
「優秀な理論物理学者で、まだ目新しかった量子力学の先駆的な研究者でもあったが、実験は苦手で、原爆開発に携わる研究者の中で一番の逸材というわけでもなかった。だが、彼にはすさまじいカリスマ性があった。瞬時にコンセプトを把握する能力を持ち、組織内の競争を成果達成につなげる手法も熟知していたから、誰にもまねできないようなやり方で計画(原爆開発『マンハッタン計画』)を進められた」(※画像は、映画『OPPENHEIMER』プロモーションサイトより)
「戦後には『原爆の父』として世界に知られるようになり、タイム誌の表紙も飾ったが、名声の絶頂で自分の仕事に疑問を抱き始める」「原爆よりもはるかに威力のある水素爆弾の製造に反対し、全ての大量破壊兵器を国際社会の管理下に置くよう呼びかけた」
「一方で、オッペンハイマーはマンハッタン計画の成果を熱烈に擁護した。広島のニュースを見たチームのメンバーを前に、日本を痛い目に遭わせることには成功したが、ドイツへの投下に間に合わなかったのは残念だと演説し、拍手と共に失笑を買いもした」「1942年にマンハッタン計画を始動させたのは当時のフランクリン・ルーズベルト大統領だ。著名な2人の物理学者、アルバート・アインシュタインとレオ・シラードが、ドイツで核開発計画が進んでおり、先を越されたら戦争に負けると大統領宛ての書簡で訴えたことがきっかけだった」「ドイツは核開発に成功する前に45年5月に降伏。そこでルーズベルトの死後に大統領に就任したトルーマンは日本への投下を決断した」
「オッペンハイマーは、自分ほど頭の切れがよくない人間(ほぼ全ての人)をいじめ、嘲る傾向があったため、敵をつくった」「戦後、テラーは水爆製造の専門の研究所を造るよう働きかけたが、オッペンハイマーが反対したため、聴聞会でオッペンハイマーに不利な証言をした。委員会は2対1の多数決でオッペンハイマーのセキュリティークリアランス剥奪を決定した。一方、テラーはカリフォルニア州リバモアに研究所を新設する資金を獲得した」(※「テラー」は、水素爆弾の開発の中心となり、「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー。「委員会」は、原子力委員会。「セキュリティークリアランス剥奪」とは、機密安全保持疑惑による休職処分のことで、事実上の公職追放)
「映画は終戦直後のフラッシュバックで終わる。オッペンハイマーがプリンストンの湖畔でアインシュタインと語り合い、自分たちの共同発明がいつか世界を炎に包むのではないかと思案している。このシーンは原作にはないが、原爆に携わった科学者たちが抱いた罪悪感を効果的に表現している。シラードを筆頭に、核軍縮の熱心な活動家になった科学者もおり、オッペンハイマーも活動に参加している」
「ノーランはまた、水爆は今も存在し、広島以来78年間、大国間の戦争を抑止してきたとはいえ、幸運が永遠に続くとは限らないことを観客に再認識させた。私たちは今なお、オッペンハイマーの時代に生きているのだ」
3時間に及ぶ映画。ニューズウィーク日本語版は「ストーリーそのものが観客の心をかき乱し、悲劇的で、ショッキングでさえある」と論評している。
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