自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★自然の演出、窓岩の夕日

2017年09月13日 | ⇒キャンパス見聞
    今月13-15日の2泊3日で学生や留学生を27人を引率して、「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」を実施した。「ツアー」と称しているが、金沢大学の集中講義で単位科目(1単位)でもある。初日のテーマは「ランドスケープと特色ある歴史」。午前中は「雨の宮古墳群」(中能登町)を訪れた。

    国指定史跡である雨の宮古墳群は、眉丈山(びじょうざん)の尾根筋につくられた古墳群で北陸最大級。地元では古くから「雨乞いの聖地」として知られた。尾根を切り開いて造られた古墳は前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に全部で36基が点在している。全長64㍍の1号墳は、4世紀から5世紀の築造とされ、古墳を覆う葺石(ふきいし)も当時ままの姿。早稲田大学から参加したイギリス人の女子留学生は「まるでエジプトのピラミッドのよう。この地域の富と人々の知恵がなければ造れないですね」と考察した。山頂にあるこの古墳からは周囲の田んぼが見渡すことができる。この地域はコメの産地であり、海上交通・輸送の一大ルートだった。粘土で被われた石棺から、全国でも珍しい四角い鉄板で綴った短い甲、鉄剣、神獣鏡、腕飾形碧玉など多数出土している。古墳時代の能登がこの地でイメージできる。

    あの『東海道五十三次』で知られる歌川広重(1797-1858)は能登も描いている。晩年の作といわれる『六十余州名所図会』の一つ「能登 瀧之浦」。志賀町のリアス式海岸にある巌門(がんもん)と称される天然の洞門を見学した。幅6㍍、高さ15㍍、奥行き60㍍にも及ぶ。長年の波食によって描かれた自然の芸術でもある。江戸時代の当時からも観光スポットだったのだろう。広重は断崖絶壁の巌門をまるでいまでも襲いかかる、大きな口を開けた海獣のように描いているから面白い。

    曹洞宗の「修行本山」でもある総持寺祖院を訪ねた。総持寺は1321年に創建され、1898年の明治の大火で本山は横浜市鶴見に移された。その後祖院として残るが、2007年3月に能登半島地震があり、まだ復旧中だ。ドイツ人僧侶、ゲッペルト・昭元氏から話を聞いた。ドイツのライプツィヒ大で日本語を学んでいて禅宗に興味を持ち、2011年に修行に入った。「信仰ではない無我の境地、好き嫌いは言わない、与えられたものを素直にいただく、能登での人生の学びも7年になります」と。曹洞宗のきびしい修行を耐え抜いた言葉が重く、そして心に透き通る。開山大師の命日に当たる御征忌大法要の読経が境内に響き渡っていた。

    この日の締めくくりは輪島市曽々木海岸の窓岩の夕日だった。この時期、太陽は西に沈み、曽々木海岸の窓岩から夕陽が差し込む様はまさにパワースポット。学生たちとぜひ見てみたと思い、地元の作家・藤平朝雄氏に案内をお願いした。「昨日(12日)は見事に見ることができましたよ。時間は午後5時47分でした」と時間を予め聴いていたので、輪島市内を午後4時40分ごろ、バスを曽々木海岸に向かってもらった。ところが、午後5時過ぎごろ水平線に雲がかかり、5時20分ごろには雨も降ってきた。30分ごろから曽々木海岸で藤平氏の講義「能登の旅情と文学」を受けていた。雨は止んだが、水平線の雲は晴れない。45分ごろ、藤平氏が「おや、雲が晴れてきましたね」と。確かにそれまで覆っていた雲が随分と薄くなってきた。そして48分、なんと夕日が窓岩のバックを照らし出し、49分には窓岩に差し込んできたのだ。学生や留学生が「ミラクル、ミラクル」「オーマイ・ガッド」「奇跡よ、奇跡の夕日よ」と叫び始めた。

     50分になると夕日が強烈に差し込んで来た。学生たちは窓岩を背景に自撮りを始めている。先ほどまで雨が降っていたのに急変して、5分間の夕日と奇岩のスペクタルショーを楽しませてもらった。「私が今回のスタディ・ツアーで一番感動したは窓岩です。空が丁度晴れ上がり、窓岩に夕日がすっぽり収まったときは思わずため息が漏れるほど美しかったです」(学生)。何とも心憎い自然の演出、目に焼き付くダイナミックな能登のランドスケープだった。(※写真は輪島市曽々木海岸の窓岩で。2017年9月13日午後5時51分)

⇒13日(水)夜・能登町の天気    くもり
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